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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

ここに一文書くだけでも、昔の人にはできなかったはず
2009年09月12日(土)

○スケッチ風エッセイ「男友だちを作ろう
第7回  夢
『webちくま 』(筑摩書房) 9月11日更新


北軽井沢出張編。
長嶋康郎さんに会ってきました。

長嶋さんがすごく面白くて、
書き手が言うのもなんですが、
今回のこのエッセイ、傑作なんじゃないか、と思うので、
よかったらちょっと、読んでみてほしいです。




○FRaU (フラウ) (講談社) 10月号  9月12日発売

第2特集「女を自由にするジャケット」内

エッセイ「その仕事の人っぽくなりたい」
書きました。




○穂村弘『どうして書くの? 穂村弘対談集』 9月10日発売

穂村さんの対談集が出版されてます。
私とお話してくださったものも収録してあります。
(他の方との対談も面白い)。

私は『指先からソーダ』刊行時で、
今読み返して、なんか若いと思いました(とはいえ、2年前か?)。

大好きな穂村さんと初対面というのと、
ちゃんとした対談がほぼ初めて、しかも文芸誌、どちらかというと私が進行役を務めるつもり、というのとで、
前日まったく眠れなくて、
当日がくがくで出版社へ向かったのを覚えています(初出は「すばる」でした)。

文字には緊張が現れないけど、
声は震えていた。




話は変わって。
昨日、インタヴューを受けて、来し方行く末をお話ししていたときにちょっと思ったのだが、「デビュー」ってなんだろう。
文藝賞をもらったからデビューになったのではなくて、
本を出してもらえたときがデビューだったような気がする。
本を作ったときに、作家、と名乗るようになったのだと思う。

そうすると、私は2004年11月なわけなのだが、
でもそうはいっても、それはくっきりとした一点の時間ではなく、ぼんやりとした曖昧な時間だ。
当時は、なぜか恥ずかしいと感じて、はっきりとした作家という職業意識を、すぐには持てなかった。あと、小説やテキストという次元と、自分自身の生活というとは次元が違うと思っていた。
(たとえば、今よりもっと更新していた、その時期のこのニッキに、本の刊行について、まったく書いていない)。

本を作ることを生業にしたい、と思っていたが、
たくさん売りたいとか、自分が前に出て宣伝したいとか、思ってもみなかった。

でも、今は、そういう仕事もしている。

それはたぶん、本が売れなかったときに、
責任を感じたから、かもしれない。

本が形になっていくのが好き。紙が好き。
デザイナーさんと話すの、楽しい。本屋さんとお喋りするのも、好き。
流通が面白い。

しかし、それは付随する仕事で、しかもわくわくするからやっているだけのことで、
あと、せっかく作るからには、誰かひとりでも読んでもらえたら、と思うからで、
私がやりたいのは、
「たくさん売る」ではなくて、「本作り」だ。

たくさん書きたい。




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