『ある朝スウプは』という映画を見たので、 そのことを書きます。 「これから見る」という方がいらしたら、読まない方がいいかもです。 失業した女性の、恋人が精神的な病気になり宗教にはまっている話なんですが……。 映画の、時間的にかなり始めの方で、 友だちから電話がきて、 「空き地を写真で撮るバイトをしない?」と誘われるシーンがあるのですよ。 こういう風に伏線をはられると、誰だって、 「ああ、きっとこのバイトを受けて、外に出て、そこから物語が発展するんだな」と見る。 でも映画の、かなり最後の方になって、実際に外に出るシーンでは、たいしたことは起きないんです。宗教に関係あるような人をみかけて、追いかけるけど、見失うのか、でもだからって主人公が何かを考える訳でもない。なんということもない。 「だったら、あの伏線はいらないんじゃないか?」 って、思ってしまう。 あと、4月になって、 春が来ましたよどころじゃなく長い、雪解けの描写が続く。 そうしたら「お、何か物語が起こるのか?」と思ってしまう。 でもそのあとも前と同じような会話のシーンが続くだけだったので、 「あの長さの意味はなんだったんだ?」 って、なってしまう。 「こうい状況になったら、どうしますか?」と、テーマを観客に投げかけたい映画なのかもしれないけし、「現実のだらだら感を出したい」映画なのかもしれない。でも、 人の2時間をもらって何かを見せたいのなら、 無駄なシーンはカットして欲しいです。 前に見た、私がすごく好きな『犬猫』という映画は、 物語には深く関係していないようなディテールがたくさんあるようにも見えたけど、 でも、 「そのディテールをどうしても撮りたい」という意味が、 監督さんにも制作に関わっている人にも俳優さんにも、 わかっている感じがしました。 だから面白いんじゃないかなー、と思うんですけど……。 私は、ディテールってものがほんとに好きなんですが、 ディテールってのは、無駄とは意味が違います。
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