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ディテールこそがいのち
2005年12月08日(木)

『ある朝スウプは』という映画を見たので、
そのことを書きます。
「これから見る」という方がいらしたら、読まない方がいいかもです。

失業した女性の、恋人が精神的な病気になり宗教にはまっている話なんですが……。

映画の、時間的にかなり始めの方で、
友だちから電話がきて、
「空き地を写真で撮るバイトをしない?」と誘われるシーンがあるのですよ。
こういう風に伏線をはられると、誰だって、
「ああ、きっとこのバイトを受けて、外に出て、そこから物語が発展するんだな」と見る。
でも映画の、かなり最後の方になって、実際に外に出るシーンでは、たいしたことは起きないんです。宗教に関係あるような人をみかけて、追いかけるけど、見失うのか、でもだからって主人公が何かを考える訳でもない。なんということもない。
「だったら、あの伏線はいらないんじゃないか?」
って、思ってしまう。

あと、4月になって、
春が来ましたよどころじゃなく長い、雪解けの描写が続く。
そうしたら「お、何か物語が起こるのか?」と思ってしまう。
でもそのあとも前と同じような会話のシーンが続くだけだったので、
「あの長さの意味はなんだったんだ?」
って、なってしまう。

「こうい状況になったら、どうしますか?」と、テーマを観客に投げかけたい映画なのかもしれないけし、「現実のだらだら感を出したい」映画なのかもしれない。でも、
人の2時間をもらって何かを見せたいのなら、
無駄なシーンはカットして欲しいです。



前に見た、私がすごく好きな『犬猫』という映画は、
物語には深く関係していないようなディテールがたくさんあるようにも見えたけど、
でも、
「そのディテールをどうしても撮りたい」という意味が、
監督さんにも制作に関わっている人にも俳優さんにも、
わかっている感じがしました。

だから面白いんじゃないかなー、と思うんですけど……。

私は、ディテールってものがほんとに好きなんですが、
ディテールってのは、無駄とは意味が違います。




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