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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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エポックメーキング
2004年09月04日(土)

渋谷のBunkamuraで映画を見て、美術館に行く。パルコに行ったら、Cocco の原画展というのがあってそれも見てきた。

美術館に行ったときに思ったのだけども、「自然な感覚」と「自分の感覚」というのは違うな、と。
例えば、ピカソの絵の色って、はっとするというか、それまでの絵の流れでいくと変とも言えるようなものだ。

色を選ぶときに、きっと、自然と浮かぶ色っていうのがあると思う。
それはきっと、今までの絵画の流れからのものであったり、一般的なイメージであったりすることが多い。

でも、「自分の感覚」の色を探すと、そんなんじゃ全然なかったりするんじゃないだろうか。
ピカソはそんな風にして色を探したのじゃないか、と思った。

言葉も同じだ。言葉を選ぶときに、すうっと出てくる言葉というのがある。ちゃんと「感覚」に合っていたり、なじんでいたりして、最初はその言葉で良いような気がしてしまうのだけども、それは「自然な感覚」のものであって、「自分の感覚」のものじゃない。
「自然な感覚」の言葉というのは、つまり今まで読んできた本の中で使われていた「こういうときはこういう表現するんだろう」というようなイメージのもの、人と話したりして掴んでいる「考えなくてもするりと出てくるなんとなくの言葉」であったりするもののことだ。
「自分の感覚」の言葉というのは、そういうのとはまったく違う、一見するとまったく合っていないような表現であったりもする、でも伝わる、そういう言葉がある、と思いませんか?




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