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五反田ギター
2001年02月17日(土)

ファーストフードのお店に入り、階段を上っていくと、生のギターの音が聞こえてきたので驚いた。外国人の男の人が1人で、ハンバーガーを前に、弾いていた。
こう書くとちょっと変な感じだけど、実はかっこよかった。
話かけてくれたし、あと俺らが楽器を持っていたからだと思うけど、すっとドアを開けてくれて笑ってくれて、やばい、ジェントルマンだ、と思った。
あやうく俺もマンドリンでセッションするとこだった。あぶなかった。

今はマンドリンクラブは休暇中だが、今年は3/4から練習が始まるらしい。
去年はたしか13日からじゃなかったかな?例年より早めに始めるのだな。
でも、やっぱり、楽器を弾くと、気が紛れる。だから、練習は楽しみだ。
私は楽器が弾けるなら、何でもするような気がする。やるよ、と言われると何でも参加すると思うし、何処にでも行くと思う。

でも春合宿はどうしようかな。みんな行くのかな。4年生は色々忙しいと思うのだけど。俺はもう会計でもないし、練習なら個人練ちゃんとやるし、それ程行く必要は感じない。よく義務感で合宿行くと言う人もいるけど、それは辛いな、と思う。義務感で行っても、後で絶対愚痴など言わない、それによって我慢したことを人の所為にしないというならいいと思うけれど。兎に角自分が楽しいから行く、というのでないと、まわりも楽しくならないと思う。「自分がいないとサークルまわらない」と思う人もいるかもしれないけど、意外とこの人がいないとまわらない、という人はいないものだ。自分が好きでやっている事を「他の人がやれって言うから」と言う人ってかっこわるいなあ、と思う。「やらなきゃいけないから」とか。やらなきゃいけないことってほんとはそれ程ないものだ。「やった方が人のためになるから自分がやりたいこと」とかそうゆうのはあると思うけど。

さっき太宰治の「ろまん燈籠」を読み返したのだが、愛されるよろこびだけを求めているのは野蛮、だって。「ひとに可愛がられることばかり考えているのです。自分が、まだ、人に可愛がられる資格があると自惚れることの出来る間は、生き甲斐もあり、この世もたのしい。それは当たり前の事であります。けれども、もう自分には、ひとに可愛がられる資格がないという、はっきりした自覚を持っていながらも、人は生きていかなければならぬものです。ひとに「愛される資格」が無くっても、ひとを「愛する資格」は、永遠に残されている筈であります」だって。

野蛮にならないようにしよう。俺は俺が好きならそれでいい。見返りは求めない。

だから、サークルに関しても、別にサークルの中で自分がどういうイメージをもたれようが構わない。だから合宿休んで「あいつは」とか思われるのなんて、まったく平気だ。

そんなことより自分のやりたい事やる方がよっぽど大事だ。やりたい事しかやりたくない。

また、サークルの話を書いたが、この中にも少佐が言うような「あ、いっちゃった」系の言葉が含まれているだろうか?

しかし、俺は俺の考え方を人に押し付けるつもりは全く無い。自分と違う考え方する人の方がむしろ好きだし。

何か言いたい事があったら言い返せばいいのに、と思う。だいたい俺は言い返せるような人にしかきついことって言ってない。だから、俺になにか言われた事が或る人は俺がすごく認めてるってことだ。
だってわざわざ嫌われるような事、どうでもいい人に言う訳がない。
俺は普段は猫かぶりだから、そうじゃない俺を見れた時はラッキー、ぐらい思って欲しいものだ。

あと、俺は人と人との関係って、仲良いだけが美しい訳ではないと思う。例えばサークルでも、あの人とはそんなに仲良くないんだけど、結構好きなんだよね、という関係も好きで、それ以上仲良くなる気もないし。飲みでは話すけど、普段ぎこちないって関係なんかも、結構楽しいですね。

兎に角、何事もなく仲良く過ごすだけが、素晴らしいとは思えないのだ。言いたい事言って、ちょっとけんかになったとしても、それが悪い関係とは思えない。

そう、最初は楽器の話を書く予定が、何時の間にか人間関係の話になっている。

なんにせよ、楽器にしろ人間関係にしろ、「サークル楽しんでいる人ランキング」をしたら、俺はかなり上位に食い込むと思う。





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