Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2018年07月19日(木) |
御茶ノ水といえば「洋食カロリー」を食べなければ! |
痩せるためにラマダンすっぞという朝の誓いも、この熱波、炎天下、順天堂医院から新橋第一ホテル、3時間のお昼休み、
久しぶりの御茶ノ水、一昨年純喫茶ミロ ■
地球最期の日だと思って生きよう!、御茶ノ水といえば「洋食カロリー」を食べなければ!、太陽は僕の敵、小山田圭吾のサウンドが鳴る、
駅前のほうの「洋食カロリー」、昭和の学生街文化財だ、超せまい、木の肌触り、味の濃い昭和の焼き肉をたらふく、油まみれ、ジジイの身体には酷かと思ったがー、
絶好調、
以下、月光茶房の記事、備忘コピペ、
【 ほんとうに衝撃を受け、かつ今でも聴き続けている生涯のお気に入りアルバムを10枚。ジャケ写とコメントを投稿する 】 https://goo.gl/p4c7R3 1枚目は、1980年にパリの廃工場で録音されたデレク・ベイリーと舞踏家 田中 泯のパフォーマンスの記録。CDがリリースされた1996年に購入。一聴して衝撃を受けるほどに感動。 ベイリーのギターの音以外に、田中 泯の立てる音や気配、そして外で降り出した雨の音までが記録された作品。 90年代末だったと思うが、本CDの感想をネット投稿で読む。その投稿者はキャリアのある聴き手の人だったが、田中 泯の立てる音や雨音でベイリーのソロが聴き取れないと不満をつのらせる文章をアップしていた。 その投稿文を読んで「そんな聴き方もあるのだな」と思うも、すぐにその聴き方が普通なのだなと気づく。ベイリーのギター・ソロにフォーカスして聴取する。その音へのフォーカスを邪魔するものは雑音に過ぎず排除すべきもの捉える聴き方。 音楽の聴取の一般的な態度。 自分は田中 泯の音も雨音も雑音とは捉えていなかった、それでは自分はこのアルバムをどう聴いて、そして何故感動したのだろう。 この事を考えることが、音楽との向かい合い方、音の聴取のありように一石を投じることになり、その波紋は自分の中で静かに今も広がっている。 聴取の対象音だけでなく、対象音を覆うもの、対象音の背景に存在するもの。 音が存在する環境をまるこど聴こうとする意識。 このCDを聴いた時、自分は無意 識のうちそのような態度で聴いていたのだと思う。ベイリーのギターはその環境の中のひとつの音として捉えたのだと思う。 本CDに最初に接してからだいぶ経って、サウンドアート作品やフィールドレコーディング作品を数多く聴くようになった自分は、このMusic and Danceがサウンドアートとして聴く事が可能と思えるようになる。 自分にとって先駆けの1枚。 10枚のトリとする予定だったが、あえて最初に置いてみる。
【 ほんとうに衝撃を受け、かつ今でも聴き続けている生涯のお気に入りアルバムを10枚。ジャケ写とコメントを投稿する 】 2枚目は、アイルランドのトラッド系バンド Moving Hearts。 アイリッシュ・トラッドとクロスオーバー・ジャズのハイブリッドの可能性を見せてくれたこのアルバムは衝撃的でした。 60年代末〜70年代にかけて入り浸った渋谷のロック喫茶ブラックホーク (Black Hawk) で、英国 (イングランド) のトラッドに目覚めた。 70年代中頃からはアイルランドやスコットランドのケルト系トラッドに手を伸ばし、輸入盤店でLPを漁るようになる。 そして、アイルランドにおける Fairport Convention にあたるバンド Planxty を知る。 その Planxty からの Christy Moore や Donal Lunny に加えて、イリアン・パイプスの Davy Spillane らが結成したスーパー・バンドが Moving Hearts。 この最終作 (再結成ライヴ盤は除く) は Davy Spillane 主導の形で作られたアルバムで、ジグやリールといったダンスチューンでは、アフリカのリズムが盛り込まれ、サキソフォンも加わってトラッド+クロスオーバー・ジャズな展開に。 トラッドの伝承の枠だけにとどまらない「ハイブリッドの夢」を本作に見たのでした。 本作は1985年のリリース。 Donal Lunny は1998年に Coolfin という大傑作を作ったが、その原型のひとつはこの The Storm に違いないと密かに思っている。 渋谷のブラックホークでは英国トラッド以外に、サザン・ロック、スワンプ・ロック、SSW、フォーク・ロックを浴びるように聴き、たくさんのレコードを買った。ボブ・ディランやザ・バンドも含めたこれらの音盤を代表してこの The Storm を選んでみた。 ちなみに……若いお客さんからDJブースと呼ばれてしまう「レコード室」が旧月光茶房時代から店にあるのは、ジャズ喫茶ではなくて、前述の渋谷のロック喫茶ブラックホークの影響。
【 ほんとうに衝撃を受け、かつ今でも聴き続けている生涯のお気に入りアルバムを10枚。ジャケ写とコメントを投稿する 】 3枚目は Tangerine Dream の Alpha Centauri。 1st.の Electronic Meditation から本作、そして Zeit、Atem の4作は至上の作品。 フリー・ミュージックという名の衝撃。 「フリー・ミュージック」とは参照されるものが無い音楽と捉えてみました。 ルーツの無い、あるいはルーツが希薄な音楽。 積み重ねられた歴史の文脈で語る事のできない音楽……そんな意味をこめて使ってみました。 プログレッシヴ・ロックと言われてしまう Tangerine Dream だが、これら1st.から4th.までの4作をフリー・ミュージックと呼んでみたい。 枠組みがはらはらと崩れていく感覚が楽しい。 彼岸と此岸を自在に往き来きする様が嬉しい。
【 ほんとうに衝撃を受け、かつ今でも聴き続けている生涯のお気に入りアルバムを10枚。ジャケ写とコメントを投稿する 】 4枚目は The Durutti Column の The Return of The Durutti Column。 80年か81年に渋谷のロック喫茶 Black Hawk で初めて聴いて衝撃を受けレコ屋に直行しました。 初めて聴いたのは Black Hawk のニューウェーブ特集の日だった。 この時にかかった New Order の Movement と共に感動。 全く熱気をはらまない音楽が目の前で成立している事、そしてその事に椅子からころげおちるほどに感動している自分に驚いた。 この日は忘れられない日になりました。 「熱気をはらまない音楽」への感動に加え、もうひとつ感動した事があって、それはこの音楽に隙間だらけでスカスカな印象を受けたことにある。 あえて言うなら余白が多いというか。音楽の中に余白を意識させられた、あるいは余白を気づかされたたぶん最初の1枚だったかと思う。
【 ほんとうに衝撃を受け、かつ今でも聴き続けている生涯のお気に入りアルバムを10枚。ジャケ写とコメントを投稿する 】 5枚目は Brian Eno - David Byrne [ My Life in The Bush of Ghosts ]。 カットアップ&コラージュの実験的手法とポップスの自然な共存が衝撃的でした。 81年にUS盤LPを開店して間もない渋谷タワレコで購入。 あまりのカッコ良さに「80年代はここからスタートする!」と本気でうそぶく。 デジタルなサンプリングのように何のひっかかりもないレイヤーではない、テープを使ったコラージュの「つなぎ目」から浮かびあがる荒れや綻びも重要。 ハンス・ウルリッヒ・オブリストのインタヴュー集『ミュージック - [現代音楽] をつくった作曲家たち』(訳者 篠儀直子/内山能歴史子/西原尚, フィルムアート社) で、ブライアン・イーノが本作について語っている次の部分。 「あのレコードで採用した手法には2つの理由があります。1つ目は、私は作曲に飽き飽きしていたということ。曲の中における声の位置はその曲の中心になければならないとか、音楽とは誰かの意見を支持するものでなければならない、などのことに飽き果てていたのです。 (中略) そして、声を使うこと、曲を作ること、そして声はその意味において他の楽器と同じレベルにあると明確にすること、それらを考え始めました。中心に曲のメッセージが込められていることもありませんし、もはや中心もありません。」 無焦点/多焦点を指すオールオーヴァーという語をジャクソン・ポロックの抽象画の解説で美術用語として知ったのだが、音や音楽にも中心や焦点の無いものがあると認識するようになり、オールオーヴァーな聴取とか、オールオーヴァーな音の在りようなる言い方も成立するのではと思うようになる自分。 そうして、何年も経ってから知った、イーノの本盤に対しての言葉「もはや中心もありません。」 81年に本盤を聴いて感じた衝撃の中にこの「中心の無さ」もあったのだろうか。 たぶん…あったのだと思う。
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