Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2018年04月26日(木) |
produced by David Sylvian and Yuko Zama 続 |
Blurred Music
Violin/Voice ビリアナ・ヴァチコヴァ Biliana Voutchkova 1972- Clarinet ミヒャエル・ティーケ Michael Thieke 1971- produced by David Sylvian and Yuko Zama artworks by David Sylvian
この3つのコンサート録音、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィア、 19日の日記では、■
「こちらの受信の枠組みを溶解させるようなところがある、インプロでもヴァンデルヴァイザーでも現代音楽でもあるような/ないような、それはフィーレコ耳を要請しているところがある、 ジャズの身体でもなく、技巧の提示でもなく、微分音である/ないでもなく、インプロする反応の強度とか瞬間的チェンジの鮮明でもなく、耳となった全身の触感によって「アトモスィアに凝視し続けること」というのか、」 と書いた、
この演奏の実際について、プロデューサーの座間裕子に質問してみると、
大量の録音の断片がストックされている中から、当日ライブの前に会場の雰囲気や自分たちのコンディションや感情を考慮すつつ、あらかじめ演奏の時間や構造を決めるのだそう、
その意味で一回一回のコンサートは作曲された作品であるとも認識されるという、
偶然にまかせて挿入される、と、それはそれで即興/現代音楽の文脈に、聴き手は価値判断してしまうのだろうし、
自分で言うのもなんだが、わたしの聴取はいいところを掬い取っていた、のではないだろうか、
レシピを見ても素晴らしさはわからないのと同様に、やはりこの二人の奏者の演奏の指の感触にこそ価値はあると思う、即興的な身体が楽譜や指示によらないコンポジション/構造と融合している奇跡のような営み、であることだ、
即興/作曲の次元上げ、というか、新しいレーベルによって立ち上げられるに相応しい境地なのだと思う、かつてECMがニューシリーズを立ち上げたことを乗り越える新しいページが開かれたと認識されるべきだ、
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