Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2017年08月11日(金) |
RE:『フリー・インプロヴィゼーション/フィールドレコーディングのパラタクシス あるいはキスの作法』 |
“「ファーストキスから戦争」までの「踏み越え」の一般理論を考えたらどうだろうと思うに至った。”(中井久夫)
と、日記に書いたのは2004年8月19日だった、 ■
わたしはこの中井久夫『徴候・記憶・外傷』と吉田秀和のラジオメッセージ自分の聴取を記せによって、聴取の統一理論を打ち立てよう、いやそれは打ち立つものではなく、わたしが「謎」に掴まれる一瞬の履歴としてしか記述されないものなのだが今のところ、
私淑している音楽批評・福島恵一さんが、衝撃的なレビューを更新した、
演奏家の津田貴司さんFB 「福島恵一さんによるLes Trois Poires評、ぜひお読みください。これまでスティルライフやソロでも書いていただいてきましたが(福島さんの名誉のために付け加えますが、ライブ評を書いてくださいとお願いしたことはありません)、ここまで書くことに逡巡されたこともなかったように思います。ヘビー級のパンチを受けて、さあ次回のライブはどんなふうに⁈」
福島恵一「耳の枠はずし」 『フリー・インプロヴィゼーション/フィールドレコーディングのパラタクシス あるいはキスの作法』 ■
こりゃあまさしくヘビー級のパンチだぜ、
プリンターで印刷してマーカーしている、
「兆候」を探り続ける、チームとしての生理/倫理、「ねじれの位置」、モンタージュとパラタクシス(重ね合わせ)、彼の釣りには「待ち」が存在しない、音量の提示にフィールドレコーディング的な感覚、彼らが別の世界に遊んでいる、パラタクシス性に沿って言語とイメージに二股をかけながら後者に属する手触り肌理密度濃度粘性硬軟や重み等の質感色彩音頭匂いや香り分布や勾配流れの速度BPMではなく広がり奥行き深み厚みトポグラフィックな変形等への感覚を研ぎ澄まし圧倒的に前景化すること、外を身体内側へと攻め込ませるための「方法」として「受像機」や探索ゾンデの性質を帯びて、・・・
圧巻な記述だー、
フリー・インプロヴィゼーションをフィールドレコーディングの耳で聴くと宣言しながら、フリー・インプロヴィゼーションとして記述しようとしていた、と、 不明を恥じるような文脈をとっているけれども、わたしや原田さんが福島恵一の推薦ディスクや松籟夜話で触発されて「フィーレコ耳になってしまったー、現代ジャズが聴けないー」と時折騒いでいる前提にはここ5・6年の福島批評の基幹部分があるわけで、
ここは、再度、新しい聴取の断層を宣言もしくは太ゴチックだと捉えられなければならない、
それにしても、中井久夫『徴候・記憶・外傷』をこうも見事に音楽批評に定置してみせた、ことは、読み取られてほしいと思うのだ、
つい、おれは福島恵一に12光年先行していたのだ!、と、東スポの見出しにしたくなるが、 同じ本を持ち出していても次元も理路もちがいすぎる、たはは、
ハッピーアイスクリーム!と目くばせをいたします、
「匂いも、観念も、ごくわずかな原因物質によって触発される。観念も極めて些細な、そしてしばしば意外な因子によって触発される。決して方法論に還元しえないと私は考える。採集の旅に専門家に同行してみよ。キノコでさがしの名人の跡を追ってみよ。」 これは中井久夫さんの記述である。
わたしたちは福島恵一の批評を追っている、 耳の枠はずしのアイコンはキノコではないか!、!、
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