Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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台湾には八つの少数民族がいる、最近増えてる、諸事情、バリエーションはあるかな、 ううむ、ポリネシアンな感じ、懐かしい感じ、台湾かあ、 なにこれ!ブルガリアンポリフォニーやないか、 次は、ホーミー独りで出来んから合唱構成してるやないか、 バリエーションところやない、まったくジャンルが異なるフォークのありよう、 小泉文夫の言う文化の発達に音楽の発達はリニアだというのはウソやないけ、
ひとりの発案者が山の向こうからやってきて、気持ちいい技法があれば、すぐにそれは種となってジャンルは開闢するんである、 ジャンルなんてなだらかなバリエーションを無理矢理縛るものやよやめなはれやめなはれ、
松籟夜話第八夜
ライトが消され、CD本棚を背景にした前方に二人の話者が浮かび上がる、
すでにこれだけでドキュメンタリー映画の観客席にいるようなヴィジュアルである、
イザイホーの音源は、思えば津田さんのFaceBookでその惹句からただものではない音源だと即座にアマゾンしたのだ、
おばちゃんたちが突如として全力追いかけっこをするようにエーファイエーファイと声を重ねてゆくトランス状態、
アイヌのおばあちゃんののどをまわすように響かせる生命感、
おばあちゃんの声というのは特別なのだ!、
声の即興ものが3点選ばれた、が、即興という行為自体が近代自我の枠組みにとどまるところのものなのか、
小泉文夫のうそつき、とは言わないが、近代哲学の枠組みと視線で、堂々と原初の音楽的営みを読みまちがえている、
クラシックのフランス流の奥義も、ばっさりと言えば呼吸法に則ったもの、
言葉と呼吸で、わたしたちは、テキストの意味の外側の真意を知るのだし、
おばあちゃんというのは特別の存在なのだ、いつでもどこでも、ちがうか!
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