Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2017年01月18日(水) |
福島恵一(音楽批評)によるタダマス・レビュー、アーカイブ |
たださんがやっているDJイベントってどういうの?とクリクリしたお目目のスレンダー美少女に問われる日が来ないとは限らないのだ、 現代ジャズの断面を垣間見せる益子博之のアンテナのありようを、読む、 わたしの親族家族子ども孫、音楽ライター必読の、
いや、いま、自分で再読してはビビッているのであります。
福島恵一(音楽批評)によるタダマス・レビュー、アーカイブ
気球が空に舞い上がり… 『タダマス23』レヴュー Kikyuu Ga Sora Ni Mayagali... Review for "TADA-MASU 23" ■
「聴くこと」がもたらす感覚の変容・変質 「タダマス22」レヴュー "Deep Listening" Makes Transformation and Alteration to Senses Review for "TADA-MASU 22" ■
糸紡ぎ車から繰り出される糸とモザイク・タイル − 「タダマス21」レヴュー A Thread from a Spinning Wheel and Mosaic Tiles − Live Review for "TADA-MASU 21" ■
「演奏機械」と「音響機械」のカップリング 「タダマス20」ライヴ・レヴュー Coupling of "Playing Machine" and "Sound Machine" Live Review for "TADA-MASU" 20th ■
サウンドの幾何学、多層による構成 「タダマス19」レヴュー Geometry of Sounds, Multi-layered Composition Live Review for "TADA-MASU 19" ■
いま再び始まる − 「タダマス18」ライヴ・レヴュー It Begins Again − Live Review for "TADA-MASU 18" ■
逆光の中に姿を現す不穏な声の身体 − 「タダマス17」レヴュー The Threatening Body of Voice Appeared against the Light − Live Review for "TADA-MASU 17" ■
シンクロ率30%? 80%? 「タダマス16」レヴュー Is the Synchronization Ratio 30% or 80% ? Live Review for "TADA-MASU 16" ■
ミュージシャンシップとは − 「タダマス15」リポート What Is Musicianship ? − Review for "TADA-MASU 15" ■
ジャズにちっとも似ていないジャズの出現可能性、再び−「タダマス14」レヴュー Possibility of Appearance of Jazz which is quite unlike "Jazz" Again − Review for "TADA-MASU 14" ■
ひとりで聴く音楽、みんなでいっしょに聴く音楽 − 「タダマス13」レヴュー Music to Be Listened to Alone, Music to Be Listened to with Others Together − Review for "TADA-MASU 13th" ■
木村充揮(憂歌団)と「逆襲のシャア」 − 第12回四谷音盤茶会リポート Atsuki Kimura(from "Yukadan") vs "Char's Counterattack" ■
アンサンブルの解体/再構築の後に来るもの −「タダマス11」レヴュー Something Comes After Dismantling / Reconstruction of Ensemble − Review for "TADA-MASU 11" ■
他の耳が聴いているもの − 「タダマス10」レヴュー What Another Ear is Listening to − Review for "TADA-MASU 10" ■
ポップ・ミュージック再構築への視点 − 「タダマス8」レヴュー A View Point for Reconstruction of Pop Music − Review for "TADA-MASU 8" ■
兆候から確信へ−「タダマス7」レヴュー A Sign Turns to a Conviction−Review for "TADA-MASU 7" ■
ゆらぎの諸作法−「タダマス6」レヴュー Manners of Fluctuation−Review for “TADA-MASU 6” ■
クラリネットの匿名的な響きとピアノの〈短詩型文学〉−「タダマス5」レヴュー Anonymous Sounds of Clarinete and "Short Form of Poetry" for Piano − Review for "TADA-MASU 5" ■
「タダマス4」レヴュー−ジャズのヘテロトピックな空間 Review for "TADA-MASU4"−Jazz As Heterotopic Spaces ■
ジャズにちっとも似ていないジャズの出現可能性−「タダマス3」レヴュー Possibility of Appearance of Jazz which is quite unlike "Jazz" − Review for "TADA-MASU 3" ■
複数の耳のあわいに−「タダマス2」レヴュー Between Plural Ears − A Review for “TADA-MASU 2” ■
「タダマス」の船出 Maiden Voyage of “TADA-MASU” ■
”「今ジャズ」なるものが、ジャーナリズムによる「フレームアップ」というか、マーケティングに基づいた情報操作であることは、『プログレッシヴ・ジャズ』所載のインタヴューで菊地成孔が述べている通りで、それ以上でも、それ以下でもない。その中から素晴らしい作品/演奏が生み出される可能性もあるだろう。でも、多くは単なる流行りモノで、ムーヴメントとは固定され抜け殻となったスタイルの集団パクリにほかならず、それらすべては1年もたたずに脱ぎ捨てられるモードに過ぎない。それでも「流行りモノ」に触れたいヒトはそうすればいいし、「最新の」流行りモノに誰よりも早くアクセスすることにステータスを置きたければ、勝手にすればいい。 しかし、私はこれまで音楽をそのようには聴いてこなかったし、これからはますますそのようなことはないだろう。流行りモノを追いかけるには、もう齢を取り過ぎた。それは決して感性が鈍くなったとか、新しいものに対する反応が遅くなったということではない。はっきり言って、私にはもう残された時間が僅かしかないのだ。音楽に打ちのめされた経験もなく、ただキラキラと輝く流行りモノを追いかける快楽しか知らないのならば、一生そうしていればいい。だが、私はこれまで幾度となく、音楽の素晴らしさに打ちのめされ、この世にそうした素晴らしい音楽が存在することを知ってしまった。もはや後戻りはできない。明日にはごみ溜めになることがはっきりしている場所を漁っている暇などないのだ。”
一瞬福島恵一重病説を読んでしまったりしたが、スレンダーでお元気そうだし精力的に松籟夜話の準備も進めているようだし、 やばいのは人生最高重量85kgを突破してなお大盛りをやめられないおれのほうだ、 は、さておき、 この厳しいテキストに、大丈夫なのかタダマス、
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