Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2016年05月02日(月) 糸紡ぎ車から繰り出される糸とモザイク・タイル − 「タダマス21」レヴュー




糸紡ぎ車から繰り出される糸とモザイク・タイル − 「タダマス21」レヴュー  A Thread from a Spinning Wheel and Mosaic Tiles − Live Review for "TADA-MASU 21"





「ひとつ興味深かったのは、多田がさらに「多重録音と身体性のリアル」という論点を展開しようとしたことだった。」


「多田が「身体性のリアル」という語で名指そうとしたであろう連続性や流れの感覚、時間/空間を共有することによる同じものに浸されている感じ、さらには伝播、伝染、共振、共鳴、同期‥‥といったものに軸足を置いているか、あるいはモザイク的な再構成に基盤を見出しているかという違いは厳然としてあるように思う。」


「こうした再構築感覚は、だがしかし、多田が言うところの「身体性のリアル」との緊張関係を常に必要としているのではないだろうか。別にそれを模するというコンプレックスではなく、それを凌駕する、あるいは反発するという意気込みという意味合いで。」


「多田もまたFlin van Hemmen『Drums of Days』に対し、確かに録音はあまりよくないけれども、数学の問題で予想だにしないところに解が潜んでいたり、あるいは実際に行ってみたら地図から想像していた景色とは全然違ったというような「思いがけなさ」がここにはあると指摘し、私たちに音楽を聴き続けさせるのはいつだって魅惑的な「謎」なのだと熱く語った。」



・・・多田の名前があるところだけを取り出したわけではないのですが(照笑)、
タダマス後記では「ジャズ的身体」と書いてしまったけれど、「身体性のリアル」としたほうが誤解が無いでした、



「連続性や流れの感覚、時間/空間を共有することによる同じものに浸されている感じ、さらには伝播、伝染、共振、共鳴、同期‥‥といったものに軸足を置いているか、」
あるいは
「モザイク的な再構成に基盤を見出しているか」
という違い



まさに!・・・と、自分が言ったつもり以上のものを福島さんが記している、という有難い事態・・・

そこには、プーさんの言う現在を生きるというジャズの特権、とか、後藤さんが本で言うジャズ耳、とかがそこはかとなく反響していそうな気もする、

福島さんがブログで定期的に紹介しているフィールドレコーディング系インプロ系の音盤についても共通する価値判断(の重要なひとつ)だと感じてもいる、

人の営為と捉えなくてもいいではないか、楽器だと思えなくていいではないか、耳の根源は些細な情報からの危険察知だとすれば、察知する本能の駆動による快楽の創出といった事態なのだろうか、・・・ちょっと横道にそれたし、


これはサウンドアート?なのか、現代ジャズに聴こえるんだが、(それはさすがにプーさんも後藤さんもついて来れないだろう)


Diapason II av Christina Kubisch, Ljudkullen, Malmö





なにを書いているのだ、今日のおれは暴君ドナルドトランプなのだ、





Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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