Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2016年03月24日(木) |
日本語のリズムー四拍子文化論 |
夢殿の救世観音を見ていると、その作者というような事は全く浮かんで来ない。それは作者というものからそれらが完全に遊離した存在となっているからで、これは格別なことである。文芸の上で若し私にそんな仕事でも出来ることがあったら、私は勿論それに自分の名を冠せようとは思わないだろう。 志賀直哉
別宮貞徳『日本語のリズムー四拍子文化論』1977 講談社現代新書
さすが現代音楽作曲家の別宮貞雄さん?と思いきや、英文学者の弟さんでしたー
「お許しください、シャイナゲーワ・ステーションは日本ではシナガワと発音します」 曾野綾子 遠来の客たち 昭和二九年
母音だらけの日本語が四拍子を基底にしてしまう、五七五七七は読む呼吸を伴なうことで四拍子に合致する、字余りの破格も実は四拍子に吸収されてしまって収まるんですね、
インプロの審美の根底に言語があるだろ!とエドワードヴェサラと庄子勝治にフィンランドと広島を感知した97年のおれ、岡島さんはいつもにこにこそうですねえーと応じてくれていたのでした、
なに!当時すでにリスナーとして20年は修行してきたと自負していたのだが、 それから早くももう20年経ってしまっているのか?
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