Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2015年10月20日(火) |
喫茶茶会記へライブラリを観に |
喫茶茶会記へライブラリを観に。
エレベが映ったリハ画像に、今日の蛯子健太郎(リーダー)はウッドベースではないのか!とサムシングの予兆を察知し駆けつける池田さんも。
蛯子健太郎(b) 三角みづ紀(poetry) 橋爪亮督(sax) 飯尾登志(pf) 井谷享志(perc)
五者五様の孤島が反射しあう海域のような、聴く像を一瞬見えたり見えなくなったりさせるライブラリの、何処かに参照点を持つようではない音楽。
井谷のタイコと橋爪のサックスが先導する、どこか橋爪亮督グループの疾走感浮遊感を思わせる展開、最初の数曲はコンポジションがよく見える構成感で、あれれ、ライブラリってこういうサウンドだったっけ、と、不思議に思っていたが、何かちょっと予測(聴くこちらの)とのズレというか、コンポジションでは狙えない快楽をこちらが把握できたと拍手して、リーダーが曲名を紹介しはじめたところからグイグイと高みに入ってくる。
ウッドベースとエレベは同じベース奏者の楽器であるが、わたしには全く種族が異なるサウンドに感じる。前者を中空にもしくは地面に打ち込む楔(くさび)の振動のように捉えているのに対し、後者は字足らずの文句を太ゴチックで強調してビートを残像させるもののように捉えている。
書いてて、あまりものデタラメな解釈で撤回したくなっているが。
エレベになると、サウンドの推進が全体性が、収束するようなバイアスがかかる。つい、ノッてしまう引力が作用する。コンポジションによって、ビートの残像は断層を意図される。ベーシスト蛯子が紅潮させて追及する来るべき彼方に目を凝らす、耳を凝らす。
今日の三角のコトバは歌に聴こえる。朗読のようにしていても、旋律を耳が追っている。メロディーを歌うと、そのコトバが力強く響き。
あたらしい貌を見せて、予期していなかった可能性まで聴かせてくれたライブラリ。固定せずに、流動し続けている、いや、固定/流動という明確な意思は無い。呼吸しあうように、創造はいまここにあると思わせるサウンドが今日もまた聴けたのだ、ううう、また聴きたい。
BGM:昨日のYouTube集
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