Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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まあまあ、またしても、鹿の湯温泉で湯あたり、でもって、一週間寝込むモードに!
任務は外せないので、日に2・3度の出動以外の時間帯は、ミッキーのスウェットを上に着てマッサンや大相撲を観ながら、ポカリとホットレモンとエクレアとみかんを主食に、日本橋蛎殻町の薬局特製の薬を飲んで、キホン的に控え室ソファで横になって過ごす。毎日18時間はごろごろしていた。
ワイアードのコンピの聴取の技法がわかってきたー。
心が弱くなってセカオワ世界の終わりの新譜『Tree』初回限定DVD付きを買ってしまう、予測されたことだけれど終わってた。
マッサンが余市(北海道)へ。大阪から余市へ。
由松じいさんが若い時分に大阪の故郷を飛び出して浅草を経由して余市へ、炭鉱労働者として。数年前、余市を父母と妹と訪ねた。「やあ、おばさん」「やすちゃん、あれまあ」と当然の訪問に歓待を受けた平日の午後。季節は夏の終わりだったか。
ぼくは幼稚園児くらいだったのかな。お店のりんごやお菓子を選び放題なのに驚いていたっけ。まーちゃんおじさんが蚊帳を吊ってくれたのを憶えている。実家にあるアルバムには1・2さいのぼくが両親に手をつながれて何とか歩いている写真などがある。
数年前の余市訪問は、今となっては今生のお別れということがわかるけれども、訪問しているゆるやかな時間の流れは、どこか天国的なかんじがしていた。時空を超えて生きているいるひとたち亡くなったひとたちがあちらこちらの街角で手を振っているような。未来も過去も超越した時間を余市の土地で味わっている感覚。
余市はニッカウヰスキーの発祥の地で、ニッカはあくどいサントリーにやられたんだっけ、という単純な知識がありましたが。マッサンのお話ではそこはわかりません。
それにしても一年前まで毎夜15000歩は歩いていた仕事をしていたのに、転職して3000歩しか歩かない、10メートル以上外気に触れないでいるせいで、いくらNHKラジオ体操を午前と午後にしていても身体は弱ってしまているもので、湯あたりごときで体調不良になっている。
人生は筋力である。
3週間ぶりに歯医者。歯みがき指導を受けて、全部の歯を残すんだー。
写真は60年安保時の国会議事堂前。今は片道5車線の道路で、わたしの通勤や任務の庭のような道である。
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