Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2014-09-22&ch=07&eid=88838&f=458
今夜は歌舞伎座の前でベストオブクラシックを聴く。 作曲家藤倉大の特集。1977年生まれ。海外での作曲賞受賞で著名になったのかな?とまあ、日本というのはそういう国なのだ。藤倉大のコンポジションをコンサートで聴いた記憶は何度もあるような気がする。ピーピコ賞を献上したくはなっていないはずだ。するする涼しい高度な技法、新しい手触り。
そもそも聴くワタシは何によって、グッときたり、身動きできない体験に陥ったり、意識が宙に浮いたりしているか、わかっていない。
見事な技巧の工芸品にうっとりと単純にすることが良くったっていいのではないのか。パッパー、蕎麦屋でかかるマイルスデイヴィスのザムーヴにちゃんちゃかちゃんと名人芸に身を委ねてもいいのではいか。しかしそれではむしろ日本ハム戦の生中継をじっと耳をそばだてたいかな、つまらない試合でも。
ホソダさんの編集CDRに湯浅譲二の葵の上:日本の電子音楽のトラックがあった。これの評価がたいそうむつかしい。葵の上そのものの音響だけで成り立っているものを何故に?それが当時の試行?とも思えるし。パンクやアヴァンギャルドの初歩的なものに過ぎなくも思えてくる。これは一度は聴いてみたかったぜよ!と大音量で銀座の深夜に騒ぐ自分もいる。
これはジャズであるジャズでないを声高に言うオジサンなんてのは、まさにこのおいらがそうなのだ。ジャズをロックやボサノバに置き換えたら愚行である、然り。いや、むしろジャズだジャズじゃないを言い出してしまう不可思議な特質がジャズにはあると観念してしまったほうが。
多田といういびつな聴取の反応体系は、ただ単に偏向した体験トラウマの累積系に過ぎないと観念したほうが。そうすると、いくつもの奇跡のような共感は説明がつかないよな。
何書いて寝るんだか。日記に写真がないとつまらん。
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