Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年09月04日(木) |
動物に例えると「ネッシー」です |
来月の赤字脱却のために、うまいぐあいに車夫任務は繁盛するのであった。CD聴いたり、ドライブしたり、アイスコで一服したり、たかねのざる蕎麦大盛り食べたりして、まるでおれのためにあるような仕事ではないか。
チャリでいろんなルートを作ったように、中央区千代田区港区の見知らぬ夜景をループ&ループ。
きよりんが大ウケらしい。
多田雅範を動物に例えると「ネッシー」です。不思議な性格。人とズレていることが多くある個性的な人。よく判らない、と人に言われるが、自分でも自分がよく判っていない。「ウサギ」の人と相性が良い。
「あなたを動物にしてみた」 ■
小学館のどうぶつ占いはよく当たっていたよなー。おれは「金のたぬき」。
不意打ちに聴く。
Egberto Gismonti - 7 Anéis - Live @ Teatro Bradesco - BH 2014 [Musical Box Records] ■
秋田から19さいの「ピアノはジャレットよりもジスモンチのほうが好き」というかなり美人な女子が東京のわたしの部屋に遊びに来た。86年には、それは稀有なことだった。めぐちゃんといったかなー。
Arve Henriksen @ Mengi, Reykjavik 27 March 2014 ■
思いっきり一人ECMファンクラブをやって余生を過ごしてもいいのではないだろうか。
福島恵一の批評を、今一度ジャズリスナーは考え直さなければならない。
”「Wynton Marsalis以降のジャズ史が描けない」というのは、フリー・ジャズによる切断を「新伝承派」というフィクションで糊塗し、ロフト・ジャズ・シーンにおいて、あるいはヨーロッパの即興演奏シーンにおいて進められたポスト・フリーの探求を一顧だにしないからではないか。”
ブラック・ミュージックに軸足を置いたスタイル変遷史としての「ジャズ史」が行き詰まっていることを思えば、「始まりとしての『ブラック・ミュージック』としてのジャズ」と「現在の帰結としての『世界音楽』としてのジャズ」の比重配分を逆転した、「反転したジャズ史」を思い描くことは可能であるし、また、必要でもあるだろう。たとえば『Jazz The New Chapter』の巻末にオマケのように添えられた「The Newest Map of World Jazz」を拡充して主軸に据え、黒人性の顕著な噴出を時代的・地域的な特質としてピックアップする構成が考えられる。たとえばHorace Tapscottや彼の率いたPan-African Peoples Arkestraは、Beaver HarrisらによるThe 360 Degree Music ExperiencesやLuther Thomasを担ぎ出したCharles Bobo Shawらの動き、Juma SultanのAboriginal Music SocietyやThe Pyramids等のIdris Ackamoor周辺の達成等を横断的に結びつけ、さらにSun Ra ArkestraやPhilip Cohranらの営みに遡る一方で、現在まで連なるAnthony Braxton, Leo Smith, Henry Threadgill, George Lewisらの試みを別のかたちの発露としてきちんと押さえていくといったような。 こうした見方はかつて竹田賢一が自ら作業課題として掲げていた見方に、あからさまに影響/触発されている(笑)。こうした布置の中でこそ、すでになかったことにされてしまった感のあるロフト・ジャズ・シーンの再検証・再評価や、『Love Cry』以降の後期Albert Aylerの再評価も、単にマニアックなディスコグラフィ検証等の「学術的」な研究よりも、はるかにアクチュアルなものとなり得るように思われるのだ。「Wynton Marsalis以降のジャズ史が描けない」というのは、フリー・ジャズによる切断を「新伝承派」というフィクションで糊塗し、ロフト・ジャズ・シーンにおいて、あるいはヨーロッパの即興演奏シーンにおいて進められたポスト・フリーの探求を一顧だにしないからではないか。たとえばECMレーベルの初期30作品は、こうしたポスト・フリーの空間の探求のカタログとでも言うべきものであり、そこにはDerek Bailey, Marion Brown, Anthony Braxton, Paul Bley, Alfred Harth, Barre Phillips, Paul Motian, Return To Forever, Circle等、驚くべきラインナップが名を連ねている。Manfred Eicherの「見者」としての幻視力に驚嘆するほかはない。先に述べた「拡充され主軸に据えられる『The Map of World Jazz』」の焦点のうち一つは、明らかにECMレーベルに据えられることとなるだろう。
福島恵一ブログ 『耳の枠はずし』 「ジャズにちっとも似ていないジャズの出現可能性、再び−「タダマス14」レヴュー」 ■ より。
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