Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEXpastwill


2014年05月30日(金) 今日はけんさんと2度目の月光茶房オフ




となりのアパートの二階に住んでいる古い日産ダットサンを乗り回すヤクザな初老のおじさんを3ヶ月ぶりに見かける。2月の大雪に駐車場からクルマを出した時点で立ち往生したときに、タバコをくわえながらタイヤの下にバスタオルを敷いてガッと押して脱出させてくれた恩人。いきなり歩き方が、杖つく直前の老人モードになっていた、その変貌ぶりに声かけできなかった。

今日はけんさんと2度目の月光茶房オフ。ハイドンのレクチャー予定。おれにもジャズのなんたらをレクチャーしてほしいと頼まれたが、そんなのできないよ編集CDRしかできないよと言っていた。最初の月光茶房オフが、失業したての4月8日だったな。長兄とちひろさんに、就職のご報告もかねて。次兄もかけつけてくれて。こないだのタダマス13でお会いしたECM達人のお二人もお越しくださることに。

息子さんが亡くなってときいていた。29歳で、末期の肺がんで最期は脳に転移したとのこと。タバコは吸っていない、治療は進行を遅らせることだけだったと。手をあわせて月並みな言葉しか言えなかった。どんなにか無念なことだったろう。息子さんもお父さんもお母さんも。


月光茶房の金曜の夜を、5にんで貸し切り状態に。

アン・ガスリーというアーティストのアナログが気持ちいいのにまいる。これまた何が気持ちいいのか語れないでいる。フォーレコと楽器演奏による構成、とは、何も言っていないに等しい。

所作、身振り、感情、表情、・・・それはヒトに模しているからチガウわ、響きは何を現しているか、「現す」?表現?人為的な表現の自由はうっとおしい。として。

光が丘公園にいて遠くでホルンの練習音が聴こえていてママチャリのブレーキの軋みとか少年野球の歓声とか遠くで爆竹が鳴ったりグライダーが飛んでいたり廃棄物処理場のうねりが聴こえるようであったり、そしてふと足を組みかえる自分のズボンの擦る音が心地よくマッチしたり。

すべては偶然なのに動かし難い必然が続いているような感覚。

公園でぼーっとしているだけじゃん。

楽器はひとが演奏していると認識しなくても別にいいではないか、と、枠をはずしていたっけ。

羊蹄山を見上げて、真狩村。町の中心に小さな公園があって細川たかしのモニュメント、ボタンを押すとヒット曲がかかる。それが周囲の広大な物音と混ざって響いている。日本じゅうにあちこちマイクを立てておいて、グーグルマップでクリックするとそこのサウンドが拾えるようになっていたとすると、真狩村も拾えるだろうし、高野山の声明も新宿ピットインの外の音も拾えて、乱数で構成するといいよなあ、それでも、このアン・ガスリーには届かないよなあ。

やばい。そんなことを考えていたら、早朝の田柄通り沿いのアパートに部屋中に届いている音が非常に気持ちいい、ちょいと耳の焦点を冷蔵庫のうなりや通りのタイヤに合わせてみたり、焦点を外して耳を開放したりするとこれまたドラマチックに気持ちいい。

こういう感覚はヨーロッパでもイギリスでもイランでもないような。中国の音楽も韓国の音楽もよく知らないが。仏教?といっても日本のか。神道は無音ぽいかな。


Anne Guthrie - Branching Low and Spreading


Anne Guthrie - Rough Above With Uneven Base





Asmus Tietchens - Den Stiftsherren


ASMUS TIETCHENS Negus



The Art of Tanbour Part I : Exploring the Music of Ostad Elahi (1895-1974)



ابوعطا - کمانچه نوازی استاد لطفی



Asil Music - اساتید هوشنگ ابتهاج،محمد لطفی




10:00−13:40
23:00−2:20
5:30−12:20
0:40−4:30
睡眠管理がうまくできないなあ。そうだ、小沢健二が夢に初登場。



建物の壁がガーデニングいっぱいの公園全体の壁画になっていて、ひとが建物のベランダに姿を現すと、通りから見上げるぼくは、あたかも公園を空中から見下ろしているようになる。そういうアトラクションぽい場所に来ている。

サッカーグランドくらいの大きさに布団が敷きつめられていて、四角く区切られたスペースには、たぶん空中撮影すると楽しい絵本の挿画になっているという想定なのだろう、いろんな家具や置きものやモニュメントが横に寝かされている、それらの間にたくさんの人々が思い思いのポーズで寝転がったりポーズを取ったりして楽しんでいる。ぼくは四角く区切られたスペースから一番離れた場所に寝転がっていて、ぼくの手前つまり二番目に寝転がっているのがなぜか柔道着姿のマツモトで「あのさあ、なんでおれらこんな端っこなのかな」と不服を言っていて、「ははは、たぶんデタラメを答えに書いたからおバカな順に外側なんだよ」とぼくは応えていて、マツモトは「それはモンダイだべ」と立ち上がりそうになっている。「いや、ここは横になっていないとね」と制している。

そこの二人、おしゃべりしていないで、ほらロープをわたすからそれでこちら側にヴァイブレーションを送ってくれよ、と、若いインストラクターがぼくたちに投げてよこして、ぼくとマツモトはそれを手にしてぶるぶる回したり波を送ったりしながら、指示があるということは空中撮影された画像のいちばん端っこのイイトコに映るのがぼくたちだよ、探すの簡単だよ、出来上がりが楽しみだねと話している。

インストラクターが近づいてくると、それは小沢健二で、ぼくとこめかみとこめかみをくっつけるようにして肩を寄せ合って二人で寝転がりながらひとつのマイクに向かう。ぼくはすぐに歌い出す。

「ほしいものをぜんぶいいなよ、とけいやくつだとか、ひかるしんじゅのくびかざりも、みんなかってあげるよ、てのがぼくの、いまのこころ、うそじゃない、けど、でも。」

小沢健二も同時にハモって歌っている。

「ぼくを、じっと見たってダメだよ、けっこんして、って、それはちょっと。」

上半身を起こしながらそう歌っているぼくの視界に、四角く区切られたスペースの中にぼくと目が合ったままの女の子がいる。

小沢健二は立ち上がって、続きを少しフレーズを崩しながら歌い、歩いて行ってしまう。テレビ撮影なんかしているのだろうか。

いやあ、オザケン本人とよりによって「それはちょっと」を歌ってしまったぞ、これは恋に落ちる前触れかな、なんて思いながら、街を歩くと、自動車修理工場の入り口にセットが組まれていて岡田さんと小沢健二が番組をしている。「今日は二日目ですねー」「ははは」と言っている。これはどんな番組だろうと、テレビブロスのページをめくると、文字がどんどん書き足されているので、この番組のことだ、ぼくとデュオして歌った場面はどう描かれているのだろうとページを前に戻そうとするけれどうまくめくれないでいる。

通りの向かいの駄菓子屋に20センチくらいの古びた金色の仏像が置かれていて、ぼくはそれを台車に積んでほかのガラクタやダンボールと一緒に運ばなければならない。駄菓子屋の女主人は就寝してしまったようだ。反対側のアパートの二階に夜更かししている知り合いの若者二人が夜食を作っていて、駄菓子屋の女主人に仏像を運ぶと伝えておいてよと話しかけると、たださん帰りにコショウを買ってきてと頼まれる。帰りはいつになるかわからないし、その食事には間に合わないよ、でもちゃんと買ってくるよ、頼んだよと言いながら階段を降りてくる。

台車に仏像やガラクタやダンボールを積んで押しはじめるが、すぐにこぼれてしまってゆっくりしか進めない。後ろから丹下左膳の映画撮影でチャンバラしながら大人数がやってきている。うわあ、殺されたら大変だ、と、台車を押しながらあわてる。

ここに隠れようと古い民家に入る。階段を上がると、奥にみゆきばあちゃんの布団があって、姿は見えないけれど、あらあらマーヤンこんなところまで来るのかい?と声かけれている。ああ、ごめんごめん、こっちの階段じゃなかったね、じゃまはしないから、大丈夫だよ、と言いながら、みゆきばあちゃんに会うのは久しぶりだなあ、夢の中で会うのは久しぶりだなあ、今日はオザケンもはじめて夢に出てきたよ、・・・、

ああ、夢か、と、目がさめた。


アン・ガスリー。かわいい。

ビル・エバンス・トリオ。スコット・ラファロ。ポール・モチアン。

ヤコブ・ブロ・トリオ。
ヤコブ・ブロ、トーマス・モーガン、ヨン・クリステンセン(!)

オブスピーク、シーブルック。



















Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

My追加