Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年05月15日(木) track 373『アムステルダム・メモリー・スペース』衝撃






IMA地下の大勝軒へ、ひさしぶりにラーメン食べに行こ。








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track 372 The Hanging Gardens / Magda Mayas solo

You Tube > https://www.youtube.com/watch?v=sueDW7SUKVM

Magda Mayas @ Roulette 9-15-13
You Tube > https://www.youtube.com/watch?v=TE2Q8coRjkc

耳が尖ってきたところで、インプロ・シーンに耳をむけてMagda Mayas を聴こう。

これ、ピアノ一台で演ってんだぜ、で、ピアノ一台であることはまったく重要な要素ではない、この打音への強烈な対峙ぐあい、音響への耳を研ぎ澄まして放つ選び抜かれた瞬間の音、音、音。耳が釘付け。この構成、ノイズだのアヴァンギャルドだのフリーだの、超えてるだろ。

このMagda Mayas マグダ・マヤスちゃん、ベルリンの即興演奏家だとしか知らない。かわいい。

タガララジオ5(http://www.jazztokyo.com/column/tagara/tagara-05.html)でブレミッシュとかと並べた即興ポトラッチ盤Christine Abdelnourクリスティーヌちゃん美人とのデュオ盤『MYRIAD』2012なんてのが、ある。

げげげ。ここで試聴してごらんよ、> http://unsounds.com/shop/myriad

耳が釘付け。こ、これは、買わねば。

インプロというと、即時的な自由とか強度とか網膜に映る図形美だとか、そこに賭けて耳にしてきたような気がするんだけど、これなんかはもう、響きを交わしあうところに重心がシフトしている構えに聴こえる。

「これは音楽なの?なんでこんなもの聴いているの」とPCに向かうステテコ親父に事情の知らないシロウトさんの野次が飛ぶ。気持ちいいからに決まってんだろ!

ねえ、ねえ、ハナシは全然あさってなんだが、これが二人の若い美人奏者によるものだという、そのことはワカル?わかるはずないよね。・・・おれ、わかるんだよ。



臨時ニュースです。

タダマスのアイドル、わたしだけのめがね女子、NY現代ジャズシーンでメセニー、フリゼールに次ぐ人気に急上昇のメアリー・ハルヴァーソンちゃんが、今年のフジロックに!

http://www.fujirockfestival.com/artist/artistdata.asp?id=3999

マーク・リーボウらとのザ・ヤング・フィラデルフィアンズ、プレイズ、オーネット?

『The Young Philadelphiansはポール・ニューマン主演の映画のタイトルで有名だが,マーク・リボウが率いるThe Young Philadelphiansはオーネット・コールマンの伝説的なバンドPrime TimeとThe Sweetと70年代のフィラデルフィア・ソウルの躍動感に敬意を表して作られたバンドだ。当然コールマンと一緒にプレイをしていたPrime Timeのジャマラディーン・タクマもカルヴィン・ウエストンもメンバーだ。また今回来日する新しいThe Young Philadelphiansには今最も注目されている女性アヴァンギャルド・ギタリストのMary Halvorsonが参加する。今ニューヨークで話題のメリー・ホルヴァーソンが入った4人の即興演奏家達が演奏するオーネット・コールマンの曲やフィラデルフィア・ソウルがどんな音で再生されるのか?彼らは自分たちの音楽をパンク/ファンク/ソウル/ノイズだと言う。まだ誰も聞いた事が無い世界初演の新生The Young Philadelphiansに期待は募るばかりだ。』



track 373 Alvin Lucier / (Amsterdam) Memory Space (Unsounds) 2013

Soundcloud > https://soundcloud.com/maze_music/amsterdam-memory-space-excerpt

こうしてサンプル聴ける、いい時代になったねえ。

この盤を耳にし始めてから、とろけている。漢字に変換すると、蕩けている。かつてこれほど気持ちいい音楽を聴いたことがあっただろうか。

もちろん。予断なく聴いている。風景を眺めるように、耳をすます。

さあ、何が始まるんだろうかと。

右手にカーブを曲がってみるように、応接間で初対面のひととお会いするように、能の舞台に舞いが進み来るように、風は吹いて花びらが落ちるように、親しいひとと目配せで何かが伝わるように、恋人同士の指と指の触れかたのように。

音の感触は、表情や匂いや体温を察知するように受信することで、到来している。

ギターであるとか、楽器であるとか、フィーレコであるとか、ラップトップであるとか、まあ、その音の正体は正しいかどうかは置いといて、このサウンドの生成の風景。

ぶつかりあったり、ハモったり、と、統一されたこの場を共有することが第一義ではない、と、個々の音は風景に歩み出ているようだ。それが先ず、気持ちいい。何かひとの意図を超えているようにも感じられる。聴くワタシがワタシでなければならないという強迫からも離れられる、このクールさ。それは楽器の音も、エレクトロニクスも、フィーレコも、等価に聴こえるようだ。おれには未だ到来せぬ仏教の音楽にも聴こえるものだ。

次に、セレクトされた音、そのものの魅惑。奏者の構成を見ると、エヴァン・パーカー・エレクトロ・アコースティック・アンサンブルみたいなものかなあ。

MAZE is:
Anne La Berge (flute and electronics),
Dario Calderone (double bass),
Gareth Davis (bass clarinet),
Reinier van Houdt (piano, keyboards and electronics),
Wiek Hijmans (electric guitar),
Yannis Kyriakides (computer and electronics).

いっせーの、せ、で、演奏を始めて、こうなるものだろうか。ううむ、AMMを聴いていた感覚もあるなあ。

この盤に対する福島恵一さんのレビューを読む。
耳の枠はずし 「ディスク・レヴュー 2013年6〜10月 その2」
http://miminowakuhazushi.blog.fc2.com/blog-entry-259.html

「外へ出て、そこの音の状況を記憶/記録し、それを追加、削除、即興、解釈なしに演奏によって再現せよ」とのAlvin Lucierによる指示に基づく作品。

ええっ?なにそれ。

「外界の音の状況」という目標がアンサンブルに共通のものとして先に設定、されているけど、奏者が再現に取り組む時に不足と過剰が明らかにされ。

おお。

これに対する応答が各演奏者を突き動かし、動的平衡を保ちながらの移動/変遷を余儀なくするとともに、アンサンブルを不断に更新していく。

なるほど。

他の演奏者の意図を探るのではなくサウンドにだけ応ずるため、触覚的な次元に至るまで全身を耳にして歩み続ける。結果としてアンサンブルはエレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーションを行うことになる。

ええっ?エレクトロ・アコースティックなインプロヴィゼーション、なのかあ。エヴァン・パーカー・エレクトロ・アコースティック・アンサンブルには感じられない別の事態に思われていたんだけど。エヴァン・パーカーたちは完全に聴きあって、演奏しあっていたように感じていた。

MAZEのみなさんは、個々がフィーレコになっているような感触だ。「目標が外にある」。これはすごいなあ。動的平衡を保ちながらの移動/変遷を余儀なくされているとともに、アンサンブルを不断に更新していくという彼らの意識は、なるほど、確かにあるのだ。

ううう。それにしても、気持ちいい。立ち直れない。もとい。なんか生きる希望がわいてくる。う、めっちゃ立ち直ってんじゃん!

橋爪亮督グループの「十五夜」神トラックをトーマス・モーガンに持たせてやったんだが、「十五夜」という曲は橋爪から、あんたは月ね、雲ね、だんごね、ススキね、と役割分担を振り分けられたカッティングエッジな演奏家たちが、「目標が外にある」意識でもってテクネーとタクタイルの限りを尽くすという点で、アルヴィン・ルシエやMAZEと図らずも視野を共有していたのだ。

一足飛びに、わたしたちもまた、このような音楽でありたいのだ。




Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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