Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年05月09日(金) 宮本常一『忘れられた日本人』を再読




ディースカウの冬の旅やコルトレーン&ハートマンをかけて、ボストリッジの公演評を書く。

いつか読んだ宮本常一『忘れられた日本人』を再読。ははは、わたしたちが暮らしている常識的な行動なんて、せいぜいここ60年くらいのことかしら。

丘山さんの吉田秀和追悼を再読。吉田秀和98まで生きたのか。丘山さんに協力してやれよ、じじい。丘山さんがやっていた批評誌「ブリーズ」を読んでみたいな。
「音楽戦士としての山田耕筰」


終電が終わった平和台のコンビニの前をコツコツと音をたてて歩いてゆく若い女性、その20mあとに若い男性、20代の勤め人かな、新宿三丁目経由かな、池袋乗換えかな、六本木、表参道、

この日記も10年以上なのだね、彼らは中学生か高校生だったに違いない。

ああ、夜中の町屋斎場に行った夜もあった・・・
「ハッスル」・ECM耽美派総帥Aさんの留守電

「ECMが好きなひとのサークルを作ります、と、スイングジャーナル誌にハガキを書いたのは21歳のときだった。」

うはー。そのハガキ一枚で。
ますみちゃんが大学受験直前に部屋に遊びに来なかったら。
などなど、ちょいと考えると、いま手にしている幸福の源泉たちが霧消するではないか。

小津安二郎の映像を想う。

洗っていない台所のお茶碗たちとか、何年も聴いていないCDの山、ファミマのコーヒー、ハローワークの書類、遠くに見えるドンキ練馬店の明かり、アオさんが昨日届いた世田谷梅丘の施設発行のコピー誌に「1976年11月、NHKホールの楽屋で、一緒にワインを飲んだあとのK・ジャレットは名演だったけれど、残念ながらCD化されなかった。コリア=バートンや、パット・メセニーも、音のいいホールだけに印象に残っている。スザンヌ・ヴェガや今井美樹もかなり良かったと思います。勿論、ソニー・ロリンズも名演。昔、ロリンズが言っていたように Music Is Open Sky。人間は音楽さえあれば生きてゆける。例え、楽器が演奏できなくても・・・」と記している。

アオさんたちとタブラ・ラサを聴いた西荻窪のアパートの夜、「あの三善晃が病室のベッドで楽譜を見ているだけで快復したというくらいモーリス・ラヴェルの弦楽四重奏は美しいのです」と言い、「え?三善英史?お兄さんは作曲家?」などと反応していたわたしは直後に『レクイエム』に遭遇したのだった。

スーパーに食材買いに行かなきゃ。明日は退職組不良中年、武士道空手家の山口組と先代貴乃花親方同級生の大明神と、3人で昼間っから温泉会。宮本常一が書いた「寄り合い」みたいに話すことで吐き出してわだかまったことを成仏させてやるのだ。

せいぜいここ60年のことなのか、100年のことなのか。

京都の田園風景、イタマキさん撮影。稲岡親分のわたしの住所あて名は絵文字になっている。15年前に堀内さんと出会ったイベント。ポールブレイの変遷。

































Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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