Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年04月28日(月) |
大泉学園インエフに黒田京子p山本玲子vibデュオを聴きに |
インエフの店内。画像検索なのでお店の雰囲気だけ参照。
朝から練馬区役所。国保、年金。区役所の応対がとても親切でわかりやすくて、公共の温かさを感じる。うるうる。だけど年金は申請とか手続きしかできない。練馬年金事務所は区役所とは別の遠い場所にあるの、って、不合理で無駄じゃないのかなあ。区役所に統合して、その土地をわたしに失業給付しなさい。能楽堂と室内楽が聴けるホールを建てるんさ、それでね。
朝のNHKで、生活苦にある母子家庭や失業者をサポートするお食事会がレポートされていた。
ワイアードで若林さんがイリイチの思想を紹介して書いていた「ぼくらは生活のほぼすべてを<市場>に差し出しては、お金でそれを買い戻すなんてことをしているうちに、強制的に市場経済に<依存>させられてしまっている」というフレーズがあたまをよぎる。
大きなクルマに住んでコンサートに通いまくって世界中の音楽は考えただけで高音質スピーカーから流れてあちこちの温泉をツアーする老後、を、想像してお昼寝。28連休目。
大泉学園インエフに黒田京子のピアノを聴きに出かける。うえの兄からの失業お見舞いごち。タガララジオ39■で、『沈黙の声』というピアノソロに耳をすませていた。フレッド・ハーシュ、渋谷毅のあの音は魔法だ、なんて話していたら、黒田京子の生演奏は特別なのだCDでは録れてないと言う。
ほんとうだ。
Kita+Kuroda+Kitamura - Valencia 19-June-2009 ■
ひまわり I Girasoli Sunflower ■
YouTubeでも録れてないというのもあるけれど、手がかりは録れている。ああ、この音かあ。
山本玲子という若いヴィブラフォン奏者とのデュオで、前半のラストで弾いた山本が書いた曲でのピアノとヴィブラフォンの響きが閃いて視界が真っ白になる瞬間を、ともに体験した。
こういうのを体験してしまうと、やみつきになるのだわ。
インエフのピアノは調律がよくなされていて、辻秀雄さんなのかな、極上の響きなのでもあった。
ついECM者としてはコリア=バートンを先入観するのはトーゼンなのだし、黒田さんもそれを共有している、でも演奏が表明している方向はそっちじゃなくて、響きに語らせている、気持ちを伝えている、なにか音楽の歴史とかに背中を押されて音を置いている、そういった現在を生成させようとしている、スタイルやフォームのお披露目ではなくてね。
現代ジャズやインプロやクラシックでぼくが感度を受信しているスケールには乗らない。積年のジャンルの視野というのはあって、そこでの強度という語彙では記述できない。
ラストの曲だったかな、黒田さんはジャズっぽい演奏もお手のものという印象。最近聴いた田中悠美子の存在感も録音物にはなっていないようだ。林栄一とか、藤井郷子の孤高の創造性とか、渋谷毅もそうか、・・・ううむ、日本の演奏家はそれぞれに菩薩であるかのように存在していて、欧米スケールの血塗られた冷徹なランクの成立との対比を思えば、それは宗教のバックボーンなんてのが浮上してこないか?
やめやめ。インエフに戻ろう。
厨房にはヘイデンのジタンのLPが飾ってあって、ぼくがジタンはいいよね、20代の頃ヘイデンばかり集めてそこからオーネットに行ってジャズの裏街道歩いたヘンタイですからねー、と話していたら、店主が、そんなことはない!ぼくはヘイデンのマイバックページでベースを手にした!といきなり目が輝き話は弾む。だしぬけに店主は、いまはトーマスモーガンが一等いいと発語する。どえええっ!兄と目を見合わせて背中をたたいて、昨夜のモーガン事件やら、どっかーん、兄もわたしもモーガン話は山盛り状態なのだー。ぼくたちのモーガン発見は早いですよ、日野菊地のカウンターカレント(2007)で連れてきた無名のアティアス、モーガンから!ECMは昨年春にモーガンをベースに据えた3作4CDを・・・
音楽は職業ではない。いきなり、なに。
大泉学園から平和台まで約7キロを70分かけてとっとこ歩いて帰ってきた。 夜中のハナミズキ。
菊地雅章 1997年のインタビュー記事 (ミュゼ11号高見一樹さん)
「今いいピアノっていうのはポール・ブレイくらいしかいないんじゃないの。あと、マイケル・ケインとかね」 「アンドリュー・ヒルがさ、テザート・ムーンを聴いていて、偶然郵便局で会ったとき『おまえのトリオはいい』って言ってくれたんだ」 「エリカ・バドゥって知ってる?ああいうのがサバイバルの方法なんじゃないかとも思う」
耳のウルトラ5兄弟を想うなり。
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