Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年04月18日(金) テレヴィジョン「ヴィーナス」





テレヴィジョン、来日してたのかあ。

高校時代の目覚ましトラックは「ヴィーナス」だった。



2週間ぶりの外食は潮見駅前のなか卯で親子丼とミニ冷うどんセット640円、自炊するほうが美味い、プチ贅沢だとありがたく思おう。求職の面接から帰って横になったら21時、橋爪亮督グループ@新宿ピットイン見のがし。湾岸エリアの大手運送会社の倉庫群。定年まで健康に暮らせるといいな。つうか、また体重68キロまで落としたい!

あ!タガララジオ43にモザイクモザイク入れ忘れてるー。


4/17 『Jazz The New Chapter』DOMMUNE まとめ
なるほど、勉強になるなあ、快楽の由来がわかる。耳の点と点がつながる。

なぜ、現代ジャズ者のわたしがクリスデイヴやマークギリアーナをスルーしていたのか。
演奏技術が、ある臨界点を超えていた、という認識は無かった。
ディアンジェロもンデゲオチェロもつぶさに聴いてきていたし、若い友人からハイコレされるドラムンベースやヒップホップの微細な音質へのこだわりの価値体系も承知してきた。レディオヘッドもスフィアンもドレイクも大好きなミュージシャンだ。

即興レーベルのポトラッチがこの10年どんどん音響的になってきていて、楽器の鳴らしが、奏者がそこに存在するというよりも、自然現象のように響くというか、そっちの方向に位相がずれてきているように感じていた。フィールド・レコーディングの素材を扱う分野とも相互乗り入れしている。

音程や旋律の運動性、速度に焦点を合わせる聴取から、響き自体に触覚を這わせてその響きが映す空間に耳を晒すような聴取へと重心が移ってきているという感覚。

それは益子博之や福島恵一の批評から手がかりを得て、自分の耳と突き合わせてみての。

どちらかの聴取を手放しているというわけではない。この手つきは甘いな、とか、この展開は安易でしょ、とか、判断しているから、こそ、これは凄い!身動きできない!ぞぞけが立つ!と惹きこまれる。

ジャズという言葉を外して、聴いた音楽を記述する試行をしなければ。どこに焦点があるジャズなのか明確ではないので。同じ音源を聴いていても、どこを聴いているのか驚くほどみんな違うようだ。



南さんに会ってから、古楽方面が耳にヴィヴィッドになってる。セビリアのエミリオさんの投稿する音楽。いいねを押すと、地球規模で無線を飛ばしている気持ちになるんだ。

André Campra - Messe des Morts - Introit - Kyrie


Purcell - Music for the Funeral of Queen Mary - Funeral March


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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