Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年03月24日(月) |
musicircus 「この一年に聴いた10枚」企画第一弾5名分を更新 |
musicircus 「この一年に聴いた10枚」企画 第一弾、わたしと岡島豊樹さん、長井明日香さん、福島恵一さん、北村卓也さんの5名分を更新しました。 ■
オールカラーでブックレットにして持ち歩いて読みたい。紙媒体にしたいぜよ。当たれ宝くじ、買ってないけど。
三善晃コンサート関連の、夢中のピークにあった頃の二度と書けないテキストも復刻されました。 少女と生と死は隣接している。いいこと言うな。 いやー、笑える。同性間では孤独だったが異性間では弦楽六重奏状態
ん?
ち、ちょっと待ってくれ、Jazz Tokyoサイトから紛失されて未来永劫再読できないものと諦めていた(わたしはテキストファイルすべて捨てるのだ) おやじカンタービレ、ニセコロッシコンサートツアー全文!!!が、復刻されているでわないか。
おやじカンタービレ2の前文は絶品だ。
幼稚園から吹き続けてはいたが2年生になるまで謂われのない教師のバッシングにあい苦労していた。 ある日となりのともこちゃんがふたりっきりでおしえてくれた。 帰宅するなり「ママ!ハモニカにもドレミファあるんだね!」と叫んだおれ。
「あんた、いままでどやってハモニカを吹いてたんだい?」と母親。
おれは3年間もデタラメに息を出し入れしながら、みんなが演奏する音楽に自分が放つすっとんきょうな音色が混じっているのを、その不協和音を楽しんでいたのだった。
音楽はアヴァンギャルドなものとして到来した。
ウルトラマンの怪獣の咆哮に毎日興奮したが、それは当時の現代音楽であった。
4年生になって音楽クラブにはいって大太鼓をやった。
わたしの好きな女の子ベスト10にんのうち9にんが音楽クラブに入っていたのだ。
かわいい女の子たちがピアニカにくちをつけてほっぺたとゆびをうごかしているのを見るのが好きだった。
ピアニカがいっしょうけんめいになると、おれもいっしょうけんめいになってタイコをたたいた。
音楽は女の子のうごきだった。
ランドセルを揺らしながら当時は丸暗記していたベートーベン『運命』の第4楽章をくちずさんで帰った。
紅潮するほっぺ、うごくゆび、ピアニカ、おれのタイコ、運命、まさにシュトルム・ウント・ドランクな函館市港小学校だ。
6年生になって新しい恋の音楽、アグネス・チャンの「草原の輝き」とチューリップの「心の旅」、に出会って、音楽クラブをやめてしまった。
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