Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年12月27日(金) |
喫茶茶会記福地店主メッセージ |
立体交差工事中の平和台駅前。 妹から簡易書留が届いて、1時間睡眠で駅前で立ち喰いそば屋、天玉そば、美味くない。土地の名義を妹に変更する書類。父親の名前明朝体。
タダマス12について店主福地さんからFace Book応援メッセージ
福地史人 フリーインプロビゼーションも含めすべてが伝統芸能(いい意味も含め)っぽくなっている中で、わずかな隙から新しい息吹をつかみとる益子さん。多田さんの直感的な感性の擁護を得て、かなり完成されてきているイベントだと思っています。この株は買っておいた方がいいのですが、やはりお客様は一線にいる名のある方ばかりw 路地裏の狙撃兵じゃないけど、まったく無名のサムライにも来てもらいたいです
多田雅範 お若い福地店主のコメント私も同感です。私はホストとはいえ手ぶらでクレーマーのようなコメントばかりリスナー代表で。毎度お世話になり楽しませていただいとります。深謝!
福地史人 多田さん的可能性とは一聴ハードルを感じる演奏がスピッツにまで浸透するような可能性であるということであり、なんか女子高生も益子選曲にハマる可能性を多田さんから感じている。そんな感じですw 中々文字展開は難しく。謝
どのジャンルも伝統芸能ぽいという感覚、の、隙を突いている、という指摘は、なるほどと思う。
軽い拒否反応は、強い肯定のはじまり。恋も、そう。
アニメ『進撃の巨人』を観て、なにこれ!と、軽い眩暈、数日後の熱病のごとく、 それは相対性理論『ハイファイ新書』も、そう。 米SF映画『パシフィック・リム』は、『進撃の巨人』のパクリではないかしらん?
椎名林檎の『熱愛発覚中』PVを観る。なかなか難しいところを走っている、走らざるを得ない?エキセントリックはレディーガガに回収されてしまう風圧の逆風。
まーくん、102億円とスポーツ紙。
すべての音楽が、アイポッド的機器とそのネットワークから提供される時、もう「ネオンサインとジャズ」、「低劣な流行小唄」と「ほんとうに悲しい音楽」の対比、つまり聴かされるものと、耳を澄ますことの軋轢は存在しない。聴きたい音楽をどこでも、どのようにでも聴ける時、音楽はその空間とともに内面も失ったのである。外側がないのに、容赦なくとびこんでくる現実の騒擾(そうゆう)がない時に、どうして心の響きに耳を傾けることができるだろう。外界の音をすべてとざすハイファイなイヤホンは、みずからの心と精神を殺してくれる優しい電気椅子だ。 (福田和也 『アイポッドの後で、叙情詩を作ることは野蛮である。』)
騒擾(そうゆう)とルビがふってあるけど、辞書では(そうじょう)としか出てこない。
すでにバッハのゴルトベルク変奏曲もライヴで録音し直していますが、ライヴ録音の方が、より即興的で活き活きとした演奏ができると思うので、ライヴ録音が好きです。繰り返しが不可能であるという点で自分にとっても特別な意味を持つイヴェントとなるのです。スタジオで何回も繰り返し録音して継ぎはぎすれば、それは完璧な録音が出来ると思いますが、特にベートーヴェンのソナタの場合、リスクを冒すという側面も非常に大事なのです。例えばハンマークラーヴィア・ソナタをライヴで演奏することは、イタリア語でいう「salto mortale (サルト・モルターレ=死の跳躍)」、つまりサーカスでトンボ返りをして、失敗したら首を折ってしまうリスクを冒すという感覚のないスタジオで、何百回とハンマークラーヴィアを弾き直したとして、そこでは安全運転しかできないでしょう。ベートーヴェンのソナタは安全運転で演奏してはいけないのです。すべてが整頓され、音が正しいだけのベートーヴェンではなく、つねに即興的で精気に溢れ、イマジネーションとファンタジーに溢れた演奏でなければならないと思います。ベートーヴェン自身がそう弾いたと言いますし、またそれが現代のベートーヴェンであるとも思います。 (アンドラーシュ・シフ 音楽の友2008年5月)
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