Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年11月28日(木) |
本家分家にかかわらず入りたいひとは入ってよろしい |
なんと大沼公園から高速道路が整備されていて、函館〜札幌はすごく近いんだわ。小学校の遠足とかで5回は登ったなつかしの駒ケ岳。西側から眺めるアングル。
CDプレーヤー搭載した!イヤホンは音楽ぢゃない。ホーンが振動してなんぼだ。 ひさびさに「 Fell Myself / 坂本真綾 」をかける、はっはっは、このグランディス、空飛ぶ仕様になったぜー
10日ぶりに音楽を耳にするせいか、感動に置いてけぼりを食らっている。「灰とダイヤモンド」も「サラウンド」も「ソラニン」も、昨日のように聴こえない。
仕事に復帰して体力が回復するのを待つかな。
WIREDの10号と新書を2冊。ごろごろして読みながら寝てばかりいる。
お墓のことを考えさせる私信があったので、書いてみようかな。
本家というのは長男一家、分家というのは次男以下の一家、で。「本家は本家の墓に入り、分家は分家の墓を新たに建てる」が伝統的なのかな。
(おれには墓石屋と坊さんの営業にしか思えないけど)
「本家は本家、分家は分家」と考えている本家の長男にとっては、一方的に分家の嫁が墓を建て直してそこに入り込んできた事態というのは、まさに他人に乗っ取られた心境になるのではないだろうか。・・・そういう心境は当事者にならなかったわたしには気付けなかったけれど。
「本家は本家、分家は分家」原則のほかは、「本家分家にかかわらず入りたいひとは入ってよろしい、別墓建てるのも良し、共同墓地に行くのも、自然界散骨もよし、来る者は拒まず去る者は追わず」が緩やかでよろしいとわたしは考えている。
本家の嫁が入らなかった、とか、出戻りで苗字が変わったけれど入る、とか、そういうことがあってもいいではないか。
おれが墓の始祖であったなら、我が子たちの係累がごちゃごちゃ入って来るのはにぎやかで楽しいだろうと思う。生前はいろいろあったけど、まあ、一緒に鍋つつこうか、という風情で。
本家の長男が遠方に住んでいて、分家は地元に住んでいて人数が多い、という場合、本家の墓には分家のひとがたくさん入って占拠されてしまう心境になってしまう、というのは理解できる気がする。
でも、わざわざ「本家は本家、分家は分家」原則でもって、墓石屋と坊さんを儲けさせなくてもいいではないかと思う。
「本家分家にかかわらず入りたいひとは入ってよろしい、別墓建てるのも良し、共同墓地に行くのも、自然界散骨もよし、来る者は拒まず去る者は追わず」
で、このおれはどうするのだ?と思考するが、多田家の墓は北海道で寒いよなあ、みんなで部屋じゅうに新聞紙を敷きつめてジンギスカンやるか!やるなら入る!
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