Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年11月04日(月) よったんおじさんおばさんとお嬢さんお三かた、まーちゃんおじさん




FaceBookつながりのスペインのサンチェスさんが黒澤明監督の映像から?投稿していた画像。

今日は、よったんおじさんおばさんとお嬢さんお三かた、まーちゃんおじさんのお見舞いがあったとのこと。気持ちもはなやぎ、とても嬉しかったと思います、みなさん、ありがとー。

俊夫75、そんな機材まで付いてしまったか。鼻チューブ、小便チューブ、左右の腕に点滴。

夏にニセコのキャンプに行ったとき、「半沢直樹を観ている」と言っていた。それで、おいらも観はじめてた。録画して、最終回なんか10回以上繰り返して観ている。徹底的に反骨的な銀行員だったパパにはこの上ないエンターテイメントだったろう。

先月20日の検査入院まではだいたい週一で電話で日本ハム戦のこととか話していた。のにな。

自分の背広に鼻をつけると、パパの匂いがする。

銭湯でおのれの裸身を見ると、似過ぎだ。おれがこんだけ銭湯温泉入浴好きなのに、心臓が苦しいと入浴しないでいたな。おれの心臓はママの心臓だからな。

遠くの街からドアをあけて病室に入り俊夫75の意識の中に入り込む。

雨竜で、農地解放で作付面積は減ったが相当の大きな農家であった多田家が、
当時3さいだか4さいだかの三男トシオの火遊びによって全焼し、それで丸裸になった一家は砂川の町に出てきた、という場面なんだが、
三男トシオの火遊びというのはウソだったんだな。

ミサヲが墓の相が悪いと、晩年に押し切って建て替えをし、その墓に入っていったことは正解だったのかー。

こないだ俊夫75から新聞の切り抜きを預かった。この多田氏は曽祖父と似ている。四国高松。

おれは奈良県十津川村のほうだと考える。

多田家は浄土真宗のお西のほうだと、法事で知った。

曽祖父の兄弟には東本願寺の高僧になった者がおると伝わってもいる。この真逆は謎だな。

2年前に、おふくろを東大寺二月堂お水取り深夜の須弥壇に送ってきたが、西に向かえば物語りは終わるようであるのだ。
















Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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