Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年10月23日(水) |
「北国からの声 − リアストゥライニ東京公演」@富士見ヶ丘教会 |
俊夫75は、骨へのがん転移が判明。そうか。腰が背中が痛いというのは、相当痛かったはず。放射線治療ということで北海道がんセンターへの転院が方針に。おなかを切る手術はしないで済んだ。「サイダー毎日飲んでたのががんにエサを与えていたんだなー」。おれも祖母→父と同じ体質である。毎日甘いアイスコーヒー飲むのはやめないー。平沢直樹でがんばる、そう。よっしゃその意気だ。
「北国からの声 − リアストゥライニ東京公演」■ 下北沢の富士見ヶ丘教会
うおおお。 アンダーシュ・ヤーミーン(アンダース・ヨルミン Anders Jormin) 『インディカム』美の結晶体■>自分で言うのもなんだが名文だ のベーシストだ!
世田谷の住宅街は空襲で焼かれなかったのでこの教会は残った。高い天井。古いステンドグラス。ギシギシ鳴る木の長いベンチ型の席。最前列3番目。ヤーミーン、ヴィッレマルクの目の前。開演前は隣のおっさんが身振りで雑談の声が大きくて息が臭くて椅子が揺れて頭痛がしてきてたが、グループの登場で空気は一変した。
リアストゥライニは、日本人女性の二十五絃箏奏者、スウェーデンのジャズベーシスト、スウェーデンのトラッド・女性シンガーという編成。ECMにレコーディングを済ませてあるという(邦楽ジャーナルに記事があるとのこと)。
レーナ・ヴィッレマルクは、03年にテアトロ・スンガリー青山(表参道)へフリーフォート初来日で聴いているが、フリーフォートはトラッド・フォークの音楽推進が主軸。ヴィッレマルクと、繊細なインタープレイに秀でたヤーミーンとの出会いが、化学反応を起こし続けているのだろう、ヴィッレマルクはフォークから飛翔しインプロヴァイズの時間に表現を開放している。二十五絃箏のKarinは伝統を消化しつつそこからも自由になりインターナショナルな適応で彩りを加える。
ヴォーカリストがピアニストを伴奏にしてオーケストラが盛り上げる、というポピュラーミュージックの図式、こないだ「八代亜紀、ベースの河上修、新日フィル」を楽しんできたけれど、リアストゥライニにこの図式を適応することは可能かな。
最前列からヴィッレマルクの超絶な高音から繊細な耳をそばだてる唇の動きまで、マイクは要らないかも、を耳にしながら、ボボ・ステンソン・トリオで酔ったヤーミーンのベースのインタープレイに感応し、二十五絃箏のカラーリングに配置される。そこを基点に、3者の交感のありようを体験してゆく。保持している音楽的土壌からは互いに外部でありながら、コンビネーションを合わせてゆくリアストゥライニのサウンドには、そう簡単に手詰めにならない創造の開放感もあった。
圧倒されたわ。音楽は風土を運ぶ。音楽は自然を運ぶ。
ひとは自然の一部。風土はわたしで、わたしは風土だ。
花は咲き、朽ちて枯れる。
アンコールを含めて80分ほどの公演だったが、実に堪能した。「五木の子守唄」をヴィッレマルクが自身の言語で翻訳ではなく歌ったラスト、これはECMの録音には入っていないだろうなあ。
会場には耳のウルトラ3兄弟が揃っていたのだが、マンは地球に危機が迫っているのか終演後会場には居なかった。セブンとジャックは池袋北口の珈琲専門店伯爵で、三善晃の音楽のことを話した。なるほどー、ジャックの言葉で耳が拓かれるセブン。「わはは、おまえはビョーキだ!」互いに言いあいながら。セブンは笑いながら、ジャックが血みどろになりながら音楽と対峙し立ち震えている内面を見逃さなかった。
三善晃のそのCDぜったい買う、帰ったらすぐアマゾンする!と部屋に戻ると、いつもウォークマンを乗せているCD山の一番上がそのCDだった。
「たださん、それビョーキですよー」練馬のアパートにセブンの声が響いた。
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