Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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札幌の街の二重の虹。両端が地平線のカンペキな虹を見ながら運転していた。撮れたのはこんなの。高校時代の通学路。
ただいま東京、13日23時15分。
モノレールが山手線浜松町上空にすべり込む高さはちょうど8階建てビルの高さ。
11日。5時08分有楽町線平和台駅始発、10時45分札幌の白石駅到着。
菊水の勤医協札幌病院へ俊夫75を見舞いに。おふくろが逝った病室の隣の個室。懐かしいなー。
夏にはニセコのロッジに出かけたり、手をつないで歩いて大通り公園へ出かけてあまとうと焼きとうもろこしを食べてた。2ヶ月で車椅子。低反発枕を購入して、首が、腰が痛んだ?実際は相当に進んだ胃がん。
胃の腫瘍を良性か悪性かと判断している過程なのか、病室に入ると「やあ、まさのり、完治するなら別だけどおれは手術はしたくないんだ、心臓も不整脈がひどいし、腹は切りたくない」と話し出している、そばから、妹の旦那が「お義父さんどっちにしても切ることには間違いないんだから」と笑顔で朗らかに。
16時からの医師から家族への説明。 かなりの胃ガンで切って抗がん治療が主文、心臓が手術に耐えられるかの評価と大腸カメラの検査結果により大腸に転移していたら手術は不可能、が、従文。
おれが、がんが見つかり手術して抗がん治療して苦しんで亡くなってゆくというハナシは40例以上見聞していてて、お決まりの死のロード、医者の9割は抗がん治療受けないというアンケートもある、切らないて抗がん治療も要らないぜ、と。
背中から妹が「兄ちゃん、治療行為をしないということは、病院にかからないということやよ」と耳打ち。ああ、そうか、お店に買い物に来ていて、買わない理由を述べているような態度だったか。看護婦の妹が自分の勤務している大病院に入れていたのだった、すまねえな。
手稲のおばさん(亡き母の妹)がお見舞いに来てくれていたのが、妹と義弟とわたしのビミョーな温度差の中和になった。大いに助かった。
説明後の3にんでの親族会議では、結果を告げられないなあ、検査入院終わってから告げてくれ、と、妹に頼んでいたんだが、病室に戻って、「雅範、どうだった」と親父に見つめられたら、うん、進行した胃ガンで、切っても抗がん治療を継続するレベルだ、たいへんだ、切らなくていいから、重曹飲んでみてくれ、がんが消えるから、と、伝えた。
めし食いに行くからと病室を出る。追いかけてきた妹が、「パパ、震えてた」と。
胃がん手術、抗がん治療を拒否するということは、治療行為をする病院には居られないというハナシだ。はてはて、どうするか、は、同居している妹夫婦への負担へと直結している。カネも手間も出せないフーテンの兄貴には、何も話す立場は無いのだ、好き勝手言ってすまないな。
頼むから一日3グラムの重曹くらい飲ませてくれ、おれも飲んでいる、ビオフェルミンも飲ませてくれ、と、頼むおれ。
重曹は塩分と同じだから腎臓に負担をかけると難色を示す妹。こやつは学校から呼び出しをくらうほどIQの高い子だったが、そげな道理わからんか、がんを消す試みとして重曹飲ませるのに多少の腎臓負担なぞ小さい、おれは現在の医療なぞ信用してない!おふくろは抗がん治療と延命治療で余計に苦しんでいったやないけ、語気を荒げてしまう。ごめんよ、妹よ。
まあ、大腸への転移もあるだろうし心臓の評価はダメだろうから、本人の嫌がる手術は無いだろ、そしたら病院に入れとくために抗がん治療は仕方ないでねえか?それとも自宅介護でやっていけるか?ホスピス空いてないしなあ。
親族3にんで海鮮食べ放題大宴会。いまだから明かせるファミリーストーリー。
手稲、琴似、北大裏、苗穂とドライブした。握手したおばさんの手がおふくろの手と同んなじなんでファミマのアイスコーヒー飲んでて泣けてきた。
琴似の高層ツインタワーマンションは未来都市のよう。ぶうう!気温10度あるかないか、もう寒いし。かなわんわあ。
札幌の広い道路を走っていて、大自然の厳しい北海道ではおれは負けてしまうからここではとうてい生きてはゆけないなあ、箱庭のような長家の温かみに埋もれることのできる東京に早く帰りたいなあ。
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