Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年04月23日(火) もいちど岩崎洵奈について書いて寝るおやすみ




ああ、またトラック運転したいなあ、ぱちり。

岩崎洵奈のピアノに釘付けになったのは、2月22日の日記にあるとおりFMで聴いたCD化されていない最近の音源で、
あー、このおれがショパンに感動していいんだー、というピュアネスだったわけだ。

再放送しないのけ???受信料倍付けで払うじょ。

第16回ショパン国際ピアノコンクール 二次予選 岩崎洵奈


わたしが彼女の演奏に感じるのは明らかな音楽の波である。
決め!決め!決め!でクリアしてゆくような、またはそこに優雅なタッチなり、文章でいえば決めセリフをどう見事に配置するか構成するか、に、傾くのではなく、
彼女のピアノは句読点のなだらかさの読みを持続させてゆくことに集中している。彼女のショパンがある。
それは、健気なくらいの旅路だ。
呼吸までを音楽に寄り添わせている。

こないだのはしたないゲキチではない。20世紀最高カンペキのポリーニではない。透明な響きのやわらかさの中に重力を失うピリスでもない。
その定規で測るようなピアノを彼女はそもそも求めていない。

清楚で潔白でおしとやかで、「ちゃんとわかっていて用意してくれている女性らしさ」というのがある奥千絵子のピアノ、と、形容する枠組みには近しい場所にある。

アルゲリッチはいつもいろんなひとを激賞するものだが、コンクールの得点なぞ眼中にない触手は岩崎洵奈を確かに捉えている。

ぼくは岩崎洵奈のピアノは何時間でも冷めないで聴くことができる。

この動画(3年前だけど)を観ればわかるですよねえ。

ショパンコンクール2010での岩崎洵奈の記録について、注目すべき記事があった。
ショパン・コンクールでうんぬんすることは、もう無効にしたほうがいい
審査員はヨーロッパの、ポーランドの、ショパンの歴史を背負って定規をあてているだけなのだ。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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