Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年10月26日(金) |
サウンド・ライブ・トーキョー菊地雅章ピアノ・ソロ 公演評 |
サウンド・ライブ・トーキョー 菊地雅章ピアノ・ソロ
2セットとも聴いた。さすがジャズ・ピアニストだ。ステージに出た1曲目が抜群だった。
ファーストセットの1曲目、これがECMからソロとしてリリースされるトラック1なら、アリだ。そうか、これか。ファーストセットは6曲くらい演ったのかな、10、8、7、8、7、9くらいの出来だな。10点満点みたいな点数でもないけどさ。20年近く聴いてきたけど、トラック1が進化だ。
セカンドセットの1曲目、これが10点超えの演奏だった。東京のクラシックの殿堂である東京文化会館小ホール、「数々のピアニストの斃れた血糊が生々しいあの厳しいホールで、どれだけ説得力のある響きを叩き出せるものか」とおれは考えてきたけど、プーさんは凄かった。2曲目以降は7〜9の出来だったかな。
6月のブルーノートで菊地雅章TPTトリオ、ワールドプレミアで公演したジャズはとんでもない水準だった、事件だったと言っていい。今月、アメリカ最大のジャズサイトAll About Jazzで「The Year of the Trio: Fred Hersch and Masabumi Kikuchi」(http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=43004#.UIqZ62-vFGa)という記事が載った。今年はプーさんとフレッド・ハーシュの2つのピアノ・トリオの年だった、という、おれが書きたいくらいの断言だ。しかしよ、プーさんのピアノ・トリオってECMから出た『Sunrise』のことを指しているわけだけど、タイコのポール・モティアンは死んでんだぜ。残酷な記事だと思わねえか。どのピアノ・トリオを聴けというのだ。ヴィレッジ・ヴァンガードでTPTトリオをブッキングしているんならハナシはわかる(フレッド・ハーシュ・トリオはブッキングされてる)。TPTトリオはモティアンとのSunriseトリオの先を行っているからな。
TPTトリオを演ったプーさんに匹敵する出来は、それぞれのセットの1曲目だ。音のいいヤマハのピアノを選んだことも、マイクが4本立っていることも、状況的に正解だ。
と、こう書いておいて、だ、どの曲もプーさんらしい厳しく研ぎ澄まされた演奏だったよ、どの瞬間の集中にも納得がいった。わたしも奏者になって、音と一体になれた。
一時期いろいろとNYのプーさんとメールでやりとりしていたんだけど、『Sunrise』がリリースされてからはメールは控えている。絶賛されることも、記事になることもおれはわかっているし、死線を乗り越えてくれただけでファンのおれは満足だ。アビさんというお嬢さんがいることは、ついこないだまで知らなかった。今日、誰にも教えられずにアビさんはこのひとだとわかったのは、不思議だった。
ジャズの特権は、さ、今を生きることでしょ、と、メガネの奥の真剣な目で優しく諭された?のは2001年のインタビューだった。おれはまだECMフリークに毛がはえた程度の耳の編集者だった。どこでどうおれの耳が今に至ったのかよくわからない。
プーさんがタワレコのフリーペーパーintoxicateのインタビューで、TPTトリオにアンドリュー・シリル(タイコ)、ティム・バーン(サックス)を加えようと考えていたようだけど、その後の展望が気になる。とにかくTPTトリオの音源は早くCD化してほしい。すでにかなりの量になっているだろうTPTトリオ音源、ジャズ史の重要文化財だ、アイヒャーは信用できん、ECMのスティーブ・レイクに預けるべきではないだろうか。
コンサート会場で「ウォール・オブ・サウンド」という文庫本のような冊子をもらった。「人生のある時点で自分を守るために用いた曲について」のエッセイ集。なるほど、防御としての音楽。今の若いひとは最初から世の中は派遣労働の現場だったり、切ないな。おれも今は日雇いだがな、おれはいいんだよ。そのエッセイの一節、「タコ部屋には淡路島から両親が死んだので来たという本来なら中学生の男の子も居た」、ううむ、現実にツメを立てるちからが音楽にはあると信じたくなるようなコンサートだった、な。
プーさんの笑顔、手をふる。
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