Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年08月05日(日) |
Patrick Farmer盤の探求その1 |
Field Recording 系の音源をそれほどたくさん聴いているわけではないのは、それはどのジャンルでもそんなにコンプリートして聴いていないのがわたしの場合であるが、
なんかビルの振動をずっと録音されてるだけ「@とか サイン波がうねっているだけとか、それらが合わさっているだけとか 構造が単純であったりハッタリが薄っぺらで聴き飽きるようなのが多いのか?
・・・あ!Herbert DistelのhatOlogyの1番だっけ、 列車の振動と外のサウンドだけがずっと響く作品には恍惚となって聴いた。 音の事情には関係なく傾聴させ続けるもんがあった。
マイケル・ピサロの July Mountain に最初ときめきの出会いだった。 ただの音風景と斬って捨てられないサウンドの快楽ロジックがあった。 そして出会いは不意だった。
ジル・オーブリーのカイロ録音盤は重層 Field Recording と言うべきか、 気持ちいいまま、耳のフォーカスが結べない宙に浮いた感覚でどっぷりと浸かり、 聴いたあとの日常サウンドスケープの野生に襲撃されるような体験、に、 21世紀の傑作のひとつと断じるに至り、それを超える存在がまだ到来していない。
Patrick Farmer盤は、これも3曲、ずっと聴いてしまう変化のロジックが存在している。 「これは、こんなカンジね、これはこういう意図ね、起承転結ね」という納得が到来しない。 聴取する心境は、なんとも仏教の悟りの地平に至るような透明感すら漂う・・・ A面1曲B面2曲というのはイエスの『危機』に似ているし、 ははー、あの『危機』のイントロこそわたしにとってのマイファースト Field Recording かもしんねー
で、この Field Recording の正体がわかるロケーション的な手がかりはあるし、記述することは容易なんである。しかし、それを記してしまったら、わたしのこの出会いのような聴取は壊れるようなところがある。
この世のものとは思えないサウンドである。
水琴窟(すいきんくつ)は音の発生源を地中に埋まった状態になったままに耳をすますわけだが、
探求はつづく
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