Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年08月02日(木) てすとてすと

7月22日に行なった現代ジャズの新譜を聴くイベント「第6回益子博之=多田雅範四谷音盤茶会 Yotsuya Tea Party @喫茶茶会記(四谷三丁目)」(通称「タダマス6」)では、橋爪さんをゲストに、何をかけたかというと、CD化されていないヴァージョンの「十五夜」(track 100 http://www.jazztokyo.com/column/tagara/tagara-17.html に記述して大騒ぎしたトラック)と、CD冒頭の浮遊モティアン・メソッド・ナンバー「Current」の2曲。

どちらもグループにとっては特異的な位置にある作品であり、それはまた現代ジャズの兆候的な歓びを示すものでもあった。



マーク・ターナーのトリオ「FLY」は、ちょうどブラッド・メルドー・トリオのリズム隊、ベースとタイコ、ラリー・グレナディアとジェフ・バラードをそのままもらってきたトリオなのであるが、メルドーは二人を助さん格さんのように使っておのれのピアニズムの飛翔に重きをかけるのに対し、ターナー「FLY」はその疾走に自覚的なようである。それはFLYがECMレーベルに捕獲された時点で得られた格闘である。トリスターノ的快楽を、速度のヴァイリエーションに載せた、というふうにわたしは書いてみる。速度のヴァリエーションは、70年代80年代からECMが「ヨン・クリステンセン/ジャック・ディジョネット」と「ポール・モティアン」に分節して提起してきた潮流のことである。

その速度の感覚は、まー、ロイ・ヘインズが中央線特別快速、エルヴィン・ジョーンズが小田急線ロマンスカー、ジム・ブラックが都営浅草線だとすると、新幹線のぞみみたいな体感の次元差がある。

すごい無理なこと書いてます。

ターナーFLYの3者の演奏では、ターナーが速度にコミットしているふうに聴いていたのだけれど、ECM第2作『Year of the Snake』で、速度をメタなものにしてしまう試みをしていたのだった。ほとんどカチャ、コチャ演ってるふうにしか聴かない耳もアリなんだが、「The Western Lands」と名付けられたインタールード的トラックにその「試み」を聴いてしまったのだ。

そして、タダマス6で、ターナーFLYと橋爪G十五夜を続けて聴いてしまうという、これは聴きたくなってしまう!NYと東京が同期しているふうに、もちろん色彩というか感触はオリジナルなそれぞれなのだが、ドラマとして見えた。彼らの試行はどこに向かっているのか。

タダマス6について福島恵一さんが「ゆらぎの諸作法http://miminowakuhazushi.dtiblog.com/blog-entry-181.html」で「危うさ」を指摘している。都合に合わせて拾い集めているだけではないのか、と。

ターナーと橋爪は、現代ジャズのサックス奏者として突出した存在とわたしは視ており、ジャズ史としてはジョー・ロヴァーノの重要性のバトンを継いだ同じ系統に属している。コニッツのあらゆるレパートリーを瞬時に吹けるターナー、トリスターノ学究バンド平井庸一COOL JAZZで鍛錬した橋爪、である。この二人が、NYと東京にあって、それぞれに進化し続けている途上で、まるで示し合わせたような思考・試行・志向にわたしたちはドキッとしたのであった。

このあたりの理路を当日はうまく、いや、まったく話せなかったので、・・・あった。だめじゃん、おれ。しかし、橋爪本人の横でコレを力説できるわけがないではないかとも思っていた。

「十五夜ver.20100926」をわたしはこの2年間、練馬で表参道で京都で積丹半島で奈良東大寺二月堂で、ことあるごとに100回以上聴いているのであるが、この曲の創造主橋爪さんは一緒に聴きながら「極悪だなー」と笑みを含めたつぶやきをなされたのであった。まさに神のコトバだ。

「Current」については、「一音たりとも入れないような演奏のバランスが成り立っているんです」と創造主は話したのであった。

この2トラック、まさに、限りを尽くしたかのような所業であったのか、聴いていたわたしはわかっていたが、そうか、創造主はわからぬはずはないか・・・、リスナーであるおのれの小ささをこの時ほど感じたことはない。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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