Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年06月12日(火) |
「Jazz / Improv」 |
東京駅八重洲口がわ。
品川区立品川図書館、港区立港南図書館をまわって、マンガ読んで、CD3枚聴いて、うたた寝する。夕方から文京区小石川図書館に行って、浅草でかなみん24とけいまん22とデニーズして、蛇骨湯は定休日でかなみん24は就寝のためリタイア、けいまん22と墨田区の荒井湯に入りかなみん24はほっそりとしてキレイになってきたなと湯舟で語り、深夜1時まで亀戸、上野、本郷、芸大、北千住、新井薬師、町屋と運転教習してきた。
「Jazz / Improv」
フランスではまったく構造のない即興をやるミュージシャンは少なくなかった、と大里俊晴は『現代フランスを知るための36章』で書いている。フランス・シーンの柔軟かつ複雑な構築性と狂気すれすれのユーモアを指しているんだけど。
70年代ブリティッシュハードロックを子守唄に育ったわたしたちは、ブリティッシュとアメリカンの違いをそこそこの精度で聴き当てていたから、インプロもフリージャズも、国別やサーキット別の大きな枠組みは、それぞれにあると感じてきた。
菊地雅章は、おれはフリーをやってるんじゃねー、自分のランゲージを弾いているんだ、と、当然言う。
フリーと言うけれど。演奏のクリシェはすぐにスタイルとなるし、自由なんだか気まぐれなんだかというものも、緩んだ構造のひとつの形態にしか思えない。ノンイディオマティック・インプロヴィゼーションと言うけれど。あなたはノンイディオマティックと演奏しているのはわかるし、わたしはあなた以外の何者でもないことを感知する。あなたは構造であるから、わたしは感知できる。イディオマティックもノンイディオマティックもねえだろ。
あなたの色彩を、わたしは感知できる。
ジャズとインプロはチガウとわたしは言う。演奏を聴いて、ジャズのひと、インプロのひとと言う。レコード販売店が仕分けているわけでも、演奏家が名乗っているわけでもない。くっきりとした境界線はないから、どっちとも言えない演奏家もいる。ロックのひとというのもある。フォークのひとというのもある。このそれぞれのジャンルの構造系は、国別やサーキット別の枠組みでも区分けられていて、時代のスタイルでもインデックス可能、そこそこ意思疎通に通用してきたので便利であるが。
事態の新しさを理解するにはまったく役にたたないんだなこれが。
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