Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年05月13日(日) 井上陽水の「帰れない二人」




Iphoneアプリのボーリング・ゲームで288得点した。あと、一度倒れたピンがピタっとまたレーンの上に立ってしまう現象が起こった、これは1481ゲームやって初めての現象。

Face Book で22時過ぎに「オナニーなう」と書いたのは友人のいたずらであると主張する19さい次男の真偽のほどは置いとく、それに「いいね!」を押せなかった、エアギタリスト父子競演!と突っ込みを入れられなかったおれはまだまだ未熟者である。

タガララジオ27を入稿せり。ミスチル「蘇生」を出して例のナショナリズムな動画を紹介してしまったのはいいのかわるいのか。

仕事中にあまりにミスチルがかかる、若いカップルが楽しそうに「HANABI」を口ずさんでいる光景につられて、ついいい曲だなあと思う。「もう一回、もう一回」。限定発売ベスト2種、すべてお店で売り切れたので違うアイドルグループのPVに変わった。

なにがもう一回もう一回だ。

タガララジオ27は冒頭がダイヤモンドマインでラストがマークフライ盤。イギリスのどこかから響いてきたこの上ない逸品二枚。

佐野眞一「あんぽん孫正義伝」と宮台真司の脱原発対談を送った札幌の叔母さんから手紙が届いた。便箋には、「またランチデートにでかけようね」と綴った出さなかった姉への文字が残っていたという。わたしが幼少から耳にしていた「ねえちゃん」「あきこ」と呼び交わす声は、宮下で亀田港で、砂川で、白石で、手稲で、羽田空港で、白い病室で。中学生の姉と3歳児の妹の呼び交わしあいがそのままだったのかと思う。

母の葬儀で棺の中のおでこにおでこをつけて、3月に二月堂の須弥壇の煙の中に小さくなって消えていったのを見送った。奈良に向かう高速道路はジョビンやアジカンやDCPRGで、軽い躁状態で祝福に満ちていたのは、昨年10月の最期のおふくろとのドライブ積丹半島一周に思い付きで「じゃじゃ馬億万長者だぜ、明日無き暴走だぜ、おふくろ」と走った一日と続いていたからだ。

通夜に「おれはさ、マザコンなんだぜ!」と言ったおれを従兄弟のよったんがやたら反応していたな。おれはおふくろが死んでから泣いていない。泣くというのがずっとわからないでいたんじゃないか?と思えるくらいだ。音楽を聴いてよく泣いたと書くのはただの修辞だ。

看病で一週間札幌の病院に泊り込んだときに、叔母を手稲まで送りにドライブした。叔母はぼくにとって最初のマドンナだったから、叔母が結婚したときにそのパートナーはぼくにとって最初の乗り越えるべきライバル像を提供した。スキーがプロ級の腕前でギターが巧くてレタリングアートで食べているダンディな男がぼくに教えてくれたのは井上陽水の「帰れない二人」だったから、そのドライブの気持ちに色濃く反映していたのはおれだけが感じていたこと。

ダンディな叔父のオーディオを見ていたら、井上陽水や小椋佳やピンク・フロイド『狂気』があった。ピンクの心理学者の狂気とは?クラスメートに話すとピンク・フロイドの『原子心母』とイエスの『危機』を買えと言った。

そんなことを書いていると、今のおれはその軌跡をずっと辿っていることに気付いてしまうのである。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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