Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年01月10日(火) カルビーの「じゃがポックル」のリクエストをいただく

カルビーの「じゃがポックル」のリクエストをいただく。

末期がんの母親が入院状態になり、胸水腹水がたまってきてモルヒネで痛みを取っている段階に入ったのが4日の妹からの連絡で、それでどれくらい持つのかわからないまま日々が過ぎる。近くに住んでいるのなら毎日見舞いに行くものだけれど、日雇い夜勤の仕事をそう毎月のように休むわけにもゆかず、危篤のサインが出てから飛行機に乗って駆けつける、のを待機しているというのはふがいないカンジでもある。

知り合いから「アニキが死んだとき、最期は腹水が妊婦のように膨れ上がって体が苦しんで身をよじって横たわっていた、そのままの死後硬直よ、なんとか腕を前で組ませて、棺おけのフタがギリギリだったぜよ」なんてきかされると、脳は痛みを感じていない状態だとはいえ、それはそれで痛々しい。

今朝の練馬は今年一番の寒さで、入間とか川越からびゅうびゅう言わして帰ってきた午前5時15分、バンプの「スノースマイル」がNHKラジオ深夜便でかかった。「こんなシチューのコマーシャルみてーな曲聴かないで、バンプを聴きなよー」と若い従業員に言ったら、「これ、バンプの新曲ですよ」と不意打ちくらった記憶がちょこっとだけよぎる、が、

函館の冬の寒い日に、引込み線に貨物列車が走り、途方もなく吹雪いていたのがやるせないでいたのが貨車の大きな質量の動き自体がそこに存在することが暖かくて、そのごわごわした存在感は、開拓された北海道史という巨大な物語の一端のようにも感じて歴史絵巻の幻燈を眺めているような気持ちになってうっとりとするのだった・・・。すぐにそのことを思い出していた。

Face Bookは流れる大河であるから、日記に置いておかないとすぐにわすれてしまう。
「福島県南相馬市にお住まいの方のブログ」

これはひどいわ。地獄が始まってる。大江のパパと磯田のおじさんがシェアしてくれた情報。

北海道に放射能の憂いはいま無い。

アメリカが震災直後に半径50マイル(約80km)の避難勧告したのは、ほんとーだった。
この予言者の地図も正しいのだ。

大本営発表、特高、非国民というラインは、そのまま業界申し合わせ取引先リストラ保身沈黙に転じているだけかもしれない。でもまあ、じわじわと好転するだろう。風の谷のナウシカの風の谷の住人になったと、閉ざされたエリアで、そこにしか居ることができない村人として助け合って暮らす、それはそれで今日と明日。

塩酸のタンクに転落したふたりの作業員は遺体の損傷激しくDNA鑑定で身元の特定を急いでいる、をぐぐったらこんなマンガが。



Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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