Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2011年11月19日(土) |
菊地成孔の粋な夜電波バックナンバーぜんぶ聴ける |
菊地成孔、きくちなるよし、と入れる前に候補に表示されるiPhoneだ。 …一句詠んでるみたいだな。 iPhoneでiPodで菊地成孔の粋な夜電波バックナンバーぜんぶ聴ける! いやあ、iPhoneにして良かったぞお。 74の伯父さんと温泉談義をしていて、函館のさ… 同時に「日の出湯!」と剣の達人どうしの斬り合いみたいになって、 しかし伯父さんは砂川から5時間かけて行って二度もフラれたまま、 最初は違う同名銭湯に入り、二度目は定休日だったというツキのなさ。 おれは東京から東北自動車道、海峡フェリーの14時間で一発ツモだい。 何のハナシだっけ、 伯父さんが「そのケータイならパソコンもデジカメもカーナビも懐中電灯も要らんべや」と、 いや、さらにラジオも要らないよ伯父さん!と書こうとしてた。 菊地成孔の粋な夜電波、おもろい!
最初に彼の名を知ったのは川端民生が逝去したときにニフティの会議室に「キクチさんが書き込みしてる」ときいてのぞいたら菊地雅章ではないキクチさんである彼の名を見て。 テイポグラフィカもグラウンドゼロも聴いていたのに。 次にはOut There誌で、東京ザヴィヌルバッハを取材するのに下北沢の駅で彼と待ち合わせたのだった。駅から15分くらい二人で歩いて話した記憶が。 五十嵐一生、坪口昌恭、菊地成孔の東京ザヴィヌルバッハ。 2000年のことである。 発端は新宿ピットイン昼の部でやっていた坪口菊地に五十嵐が声をかけたのでしたよね。この3つの個性が開くサウンドは、これはこれで今となっては失われた秘蹟のような可能性を感じさせるものだったが、ひとりでも欠けてはならなかったし、あの時の彼らでなければならなかった、そんなこと言うのはいけないんだけどね、いまを生きるJAZZリスナーとしてはさ。
ま、そんなことはおいといて、粋な夜電波、おもれー!しばしハマるずら。
あ、いかん、早く寝て、東京文化会館でのコンサート黛敏郎オペラ「古事記」 に出かけなければっ!!
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