Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2011年04月08日(金) |
RE:「束の間の音の旅路(コルシカとサルディーニャ)」 |
福島恵一さんがブログ「耳の枠はずし」で「束の間の音の旅路(コルシカとサルディーニャ)」を。 ■
震災後の節電で真っ暗になった深夜の都内は、空車を点灯した無数のタクシーが幹線道路をふちどるように息を殺しているだけのようだったけれど、おいらの練馬のアパートの部屋と福島さんちと月光茶房だけが電気がついていて、その3点をもぐらのように暗闇をくぐって秘密基地に集まるはなたれ小僧のような3にんなのだった。
パオロ・フレスのECM盤がいいんだって、ECMライブラリー「Bibliotheca Mtatsminda」のスピーカーで聴かせてもらおうよー
パオロ・フレスのECM盤を最初に聴いたときは「ECM美学ならではの響きのコンビネーションを愉しむ盤」としてすんなり収まって聴こえたのですが、フレスのACT盤や、地中海の豊饒の原液のような『サルディーニャの声』(Winter & Winter 1998 →ボンバレコード)にまでたどって耳にすると、逆にECM盤でのアイヒャーの手腕が浮き彫りにされて2度目の聴取ではその際立ちにおののく結果になった。
1度目と2度目と、聴取する際のアンテナが持つ経験値が明らかに違うものになっていたわけで、まったく違う音源を聴いたくらいに、まったく異なった風景を見たくらいの体験になった。音楽は聴くたびに異なったり、憶えている音楽が異なっていたり、誰かのひとことで聴こえが変わったり、そういう不一致な部分はあまり話題にならないことだけど、いまはそれこそが面白いと感じている。
サウンドに衝撃を受けたときに、わたしは「ぞぞけがたつ」という用語を使う。辞書にはないそうなので・・・ ・・・あ、あんじゃん!方言じゃん>■
『サルディーニャの声』にはぞぞけがたち、さっそく翌日アマゾンでボンバレコード国内盤を捕獲する。と、原田さんも捕獲されたとのこと。「なんだあこのサウンドー、いやー、たまんねー!編集CDRの1曲目に入れたるぞー」と大騒ぎする大沢木小鉄(浦安鉄筋家族)のようなおいらなのだった。
ジル・オーブリーの『s6t6r』がレーベルから小包で届くが、2枚注文したのに1枚しか入っていない、メールで問い合わせると追加発送してくれるとのこと。ジル・オーブリーの音響を語ることばが見つからない。耳が空中で足をばたばたさせてしまうのだ。もはやオーブリーを聴くことは、温泉につかるようにぐうううと唸っているしかないようなあんばいだ。
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