Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2011年01月02日(日) |
RATIO別冊片山杜秀責任編集『思想としての音楽』(講談社) |
福島恵一さんのブログで雑誌RATIO別冊片山杜秀責任編集『思想としての音楽』(講談社)を知る。■
年末にアマゾンから届いていたのだ。ぱらぱらと。
菊地成孔×片山杜秀の対談。菊地さんが「マゾヒズムで退屈を合理化した音楽」「段階的に勉強してわかってきた音楽」「無邪気に最初から好きだった音楽」と3つのタイプに分けてマゾヒズムはやばいという会話があったけど、自分に照らしあわせてみて・・・3つ全部混じってるかもしんないー。音楽を女性に置き換えると?・・・。あ、おいらそもそも退屈になったら聴くのやめてるよね。ただね、どう聴いてもつまらない・わからない音楽が、その音楽を好きなひとと一緒に聴いて相手の顔見ててポンと感じかたがわかったり、編集カセットテープに入っていた曲順の流れでするする耳の栄養分になっていたり、するけよ。嫌いが好きに、違和感がチャームポイントに、驚きはそのまま果実やし、退屈はほんとうに退屈なのだろうか。この分類に、片山せんせは分類できます!と当の菊地さんが驚くような反応を。菊地さんが現代音楽がクラブでかかってクールだと。あー、たぶんクールかもー。知識が聴取受容に組み込まれているゲンダイオンガクを、知識なしで大丈夫なのかという問いについては、これは、むしろ知識を得る前に聴け!とおいらは言いたい。知識を得てしまうと、知識を得る前の聴取体験が不可能になる。
菊地成孔ペペ・トルメント・アスカラールの2枚組CD『野性の思考』を聴いた以来なおいらだけど、ミシェル・ルグラン、細野晴臣、ウエザー・リポートとクレジットを見て・・・料理の素材を確認するように?、4回聴いたけど、なかなかピンとこないのですね、お金持ちで暇で憂鬱で退屈な時間つぶしならアリなのかな、と、思うばかりでした。あ、菊地さん自身の音楽のキーワードが「退屈」なのか。アカデミックな音楽をやっていると自称するだけはある。「現代音楽とラテンラウンジを繋ぐストレンジ・オーケストラ」だとアマゾンに定義付けが載っていました。片山さんならこれを聴いて「さすが料亭の息子ならではの音楽ですよねー」以上のことを言うとは思えない。
沼田さんのテキストで、ジョン・ゾーンの『Voo Doo』が出てきて、そうそう、あれは名盤だと思います。CDになってなさそうですが。今聴いたら、どうかなあ。ジョン・ゾーンも遠くになりにけり。
大里俊晴カットアップでは、大里が坂本龍一の転向に言及して、それに対して坂本龍一自身がFAXで回答をしたこと、そのFAXの内容が読めた。 坂本龍一も高橋悠治も誠実だと思う。
スヌープ・ドッグのあのPVのかっこ良さにはおいらもリアルタイムでうっとりしていたんだが。二重視線、は、たしかにそうなのだろう。スヌープ・ドッグに「なめてんのかオラア」と言われてしまいそうだぜ。ナズ、ドクター・ドレ、スヌープ・ドッグは聴いてきたけど、黒人の才能がジャズじゃなくヒップホップへ行ってしまっている気もする。
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