Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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おおい、そこのひと!
ディケンズの「信号手」だな。
ディケンズの「信号手」と泉鏡花の「高野聖」が、わたしにとってのECMワールドに近しいと言える。 ゼーバルトの「目眩まし」なんか、ほとんどECMだ。
お。「目眩まし」はカフカとも関係が・・・カフカは『海』のCDライナーに詩が冒頭に置かれていたよなー。 カフカはあまり読んでないや。
で、信号手の主人公のような、実際にそのような仕事に就いているわたしなのであるが。 今夜は業務を行う部屋のクーラーが壊れてしまっており、一晩中ほかの場所のクーラーの室外機からの熱風が吹き込む、という、 まさに悪夢のような、都心の人工熱帯夜に身を沈めているのである。
こないだ原田さんと福島さんとECM選曲打ち合わせをしながら。 おれはジャズ耳だの、インプロ耳だの、ECM耳だの、と、その所在を掲げていたわけだけれども、 いや、そうではない、それらの耳を統合できるような聴取の統一理論があるのがおぼろげながら見えてきたのである。 つまり、ジャズ耳インプロ耳ECM耳とは単なる慣性的感覚諦念に過ぎないのである。
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