Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
2010年05月01日(土) |
学生時代に書いたという川島素晴さんの吹奏楽「ファンファーレ」にノックアウト |
むかしおれの夢に出てきた黛敏郎はこの顔だった。
上野の奏楽堂へ吹奏楽を聴きに出かけた。■ 「奏楽堂の響き3」 選曲は、「戦前・戦中世代のマーチ集」、「3人の会の音楽」、「新世代と新編曲」の3つのテーマで、貴重な発掘スコアもある。
学生時代に書いたという川島素晴さんの吹奏楽「ファンファーレ」にノックアウトされた!このひと天才だろ! つうか、全国の吹奏楽プレイヤーのみんな、ここに21世紀の吹奏楽があるぜ! スピード感があり、わかりやすく、スリリング、かつ、かっこいい。 委嘱初演の「吹奏楽のための協奏曲」は、作曲者が「相撲を観て手を握るかんじで聴いてください」などと言うが、 このきっぱりとコンポジションの突き抜けるかんじがいい。これも21世紀の吹奏楽のスタンダードになるべき悦びだ。
とにかく、おれはいま、それだけ言いたい。
それにしても、奏楽堂の椅子は硬いし、ただでさえ血圧の低いおれは、おしりのほっぺに血が通わなくなって、シビれるし、 さんざんなコンディションでいろいろ聴いてきたんだが、 吹奏楽はしょせん吹奏楽だろ!オーケストラの弦楽表現がないだろ!と思っていたが、 回転寿司はしょせん回転寿司だろ!に異議をとなえたい心境だ。なんだそれ。
会場で、なんと、明日行く京都のコンサート会場で売られる 「黛敏郎の世界」京都仏教音楽祭2010実行委員会編集というきわめて貴重な本を入手する。2500えん。 そこで、 黛が1959年に書いた「私のモダンジャズ論」におののく。
「実は、こうして抽象化され、形而上化された、一見まるでジャズではないと見做されそうな音楽にこそ、ジャズの未来を賭け得る新しい曙光が認められることを、私は固く信じて疑わない。」 と、結論付ける黛の視野は21世紀の現代ジャズすらも見通していたようだ。
|