Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年03月25日(木) その3



30年たってみて、音楽について言えば、時流的なものでもずっと支持されてゆくのもあるし、消費されて蕩尽されてしまうものもある、また、細いようで強度を持ってずっと聴き継がれたりとか、自分の中に残ったりしている音楽ってありますよね。まさに自分の好きだったジャズという音楽がかつてのクラシックのように殿堂入りから古典とよばれるようになってゆく瞬間を今体験しているんですが。30年というのは、意外と音楽の寿命というのが見えてしまう、という。すごく面白いなと思ったんです。だから、やっぱりあがたさんの音楽というのはいろいろ飛び火しているようでいながら、ひとつの統一感を持つというのは、やっぱり強度があるんだと思うんですよ。

「そう言われると、すごくうれしいですけどね。さっき言ったように、ひとには優しく接したいし、それこそヒーリング、っていうのは照れくさいけど、ひとを慰めたり、まあ慰めるだよな、傷付いていたり意気消沈していたりしたら、元気出せよと言ってあげれる音楽を基本的にはもちろんやりたいし。でも、現実のぼくらの置かれている場所というものは、それだけではやっぱり済まないということにおいて、同時にめちゃくちゃドンがっていたいし。じゃあ、ひとに優しく接してあげれることと、同時にトンがっていることと、それは曲によって別れたりとかね、ひとつの曲の中にそれを強度として封じ込めるというか盛り込むとかね、押したり引いたりああやってみたりこうやってみたりなんだけども。それがある種の柔らかさだけだったり、切れ味の鋭さだけだったり、それがうまくミックスしてあるものだったり、それがうまくいった楽曲もあれば、中途半端だった楽曲もあれば、アルバムごとにそういうことがあったりとか、いろいろなんだけども。でも、やっぱりぼくはリアルタイム性といつも思うし、今も聴いてほしいし、何十年後も聴いてほしいわけだよね。別にスタンダードになってクラシックの大家のように額縁になって音楽教室に飾ってもらうようなひとになりたいということでは決してなくて、でもやっぱり五十年後百年後にね、やっぱりぼくが十代の頃にポップス聴いて音楽にこう目覚めて、自分の生きてることとか自分の思春期のいろんなことをそこに凝縮されて育っていったよね。五十年後百年後の子どもたちが、たかだかあがた森魚の音楽聴いて、なんでこんなやつが五十年前百年前にいて、こんな面白いことやっていたんだ、って思ってほしいという欲はすごくある。うん。聴いてほしいし、もちろんその時おれはおそらくは生きていないだろうから、で、その時彼らと出会う、それこそ宇宙旅行するような、ものすごいシュールなロマンだと思うのね。つかのま、瞬間瞬間今の子どもたちにも聴いてもらいたいし、でも即座にヒットチャートに登るような音楽を作れるかどうかわからないし。自分のクオリティを落とさないで、自分の最低限のものを表現できるのは、あと5年なのかな、10年なのかな、とすごくシビアに考える。そうすると21世紀になったということも考えると、1年1年ほんとに大事にして気持ちを引き締めてやってゆきたいという思いはすごくあるし。」

ぼくはこのベスト盤聴いて、次にあがたさんがどんな活動をするのかというドキドキする期待と同時に、ぼくはあがたさんのライブの声をもっと聴きたいと率直に思いました。ぼくのまわりにはジャズを聴くひとが多くて、その中でのあがたファンというのが何人もいて、そういうタイプのファンにとってのあがたさんの魅力を考えたときに、そりゃあやっぱり、ヴォーカリストとしての、ライブでの声の瞬間的な、ジャズというか。ライブに行くときに、あがたさんの作った楽曲のこれを聴きたいというようは、この声のちょっとした間の外した瞬間とか、あがたさんのコンディションとか感情の起伏みたいのが、まさにインプロヴァイザーのそれのようで。LPよりもものすごい高いトーンで歌が始まってみたりとか、それにゾクゾクしてしまう感じで。以前発表されたシングル<アカシアの雨がやむとき><花嫁人形>、これには伝説的サックス奏者の阿部薫が参加する予定だったそうですが、これはまたヴォーカリストとして凄いものだった。その後、「イミテーション・ゴールド」というカヴァー集が出て、あがたさんの場合カヴァーがすべてオリジナルを越えてしまうという恐ろしいひとだな、と思っていて。その“生(なま)あがた”を聴きたいと思って。

「ああ、なるほど。今、ジャズ的だと言われて、以前も言われたことがあったかもしれないけど、改めてジャズと対比されて言われたのは新鮮だったね。ジャンルとしてはもちろんジャズではないわけじゃない、いちおうね。毎回毎回ライブ・パフォーマンスは違うからね。曲も、いちおうjasracへの登録があるから譜面に起こすけど、毎回違う曲を作曲して歌っているのと同じなんだよね、その意味で言ったらさ(笑)。譜面を歌いたいんじゃなくて、約束上ぼくも印税入ってこないと困るから(笑)登録するけども、ライブは、たった今の瞬間瞬間を見せたいというその思いなんだよね。」

永遠の遠国とか普遍的なものへのあがたさんの眼差しといったものは、実はあがたさんが普段やられている瞬間瞬間の行為の中にあると思うし、今回このベスト盤にイエロー・モンキーの吉井さんとかコメント寄せていますけど、いろんなミュージシャンの世界観に共通するものがあって。その意味で、今世紀もまたあがたさんには歌を歌い続けてほしいと。

「いや、わかります。そういえば小杉武久さんとやったのが面白かった。小杉さんはどんなジャンルに入るひとかわからないけども、あのひとこそインプロヴィゼーションのひとだね。ライブもやったことあるんだよ。『バンドネオンの豹』にも入っているんだよ、小杉さん。<博愛>だったかな。ああ、小杉さんの名前、こないだ挙げれば良かったなあ。」





「それで、なんか水を差すような言い方だけど、おれはいろんな矛盾したものを、表裏一体で、おれの中に無いものは無いだろうな、と思うの。つまり、とても清らかになりたい自分と、すごい根暗だったり…。ちょっと拡散するけど。いろんなものぼくは持っているけど…。ぼくの中で意外と無いのは、嫉妬の感情が無いんですよ。」

おお。

「恋愛してても。男と女がいるじゃん。普通、女のほうが嫉妬深いとか、実は男のほうが嫉妬深いよねとか、いろいろ言えるんだけど。でも、女の子って一人のひとを愛してしまうと「あなた何してもいい」と、許しちゃうところあるじゃない、そうとは限らないけど(笑)。」

ええ。寛容性がありますよね。

「男って、こう、意外と、男のほうが包容力があるように見えて…。」

実は…。

「実は、自分の好きな女が、浮気したりしたら、絶対に男のほうが許さないと思う。」

狭量ですね。

「男のほうがジェラシー強いと思う。ただおれは、自分が愛せる女は、何してもいいという…。それくらい、愛したいなというか。おれが出会う、ぼくが愛せる女はそういう女だぞ、と自分は思っている。だから、自分が付き合っている子が、なんか他の子と親しくしてたり、自分よりもそのひとを大事にしてたりしてても、そりゃやっぱり瞬間瞬間、え?とか、う!とかもちろん思うけど(笑)、でもふと考えてみて、そうか、アイツのほうが魅力あるか、でも、この女はぼくとも付き合ってくれている、そのことを良しとしなきゃいけないな、とか。ほんとにそのひとと自分が出会うべきあれだったら、どんな関係であっても、それは赤い糸じゃないけど、ちゃんとはまるようになっているんだね。だから、そこにはジェラシーなんて全然生じないだろうと、ぼくは確信している。自分の過去で、付き合ってきた関係の中でも、自分としてはそういう位置。」

へええ。

「さっきのジャズの話に戻ると、ミュージシャンになったのに、子どもの頃って、街で流れている流行歌とか、ハヤりのものにすごく鈍感だった。高校時代とかは、ほんとはみんなジャズとか聴いていた。でも、おれ、ジャズの良さ全然わかんなくて。結局65年くらいにディランに目覚めて、音楽に入ってゆく。早熟な子たちは、クラシックやジャズを聴いていたんだろうけど、東京に出てきて、みんなジャズ喫茶とかに行くんだけど、幸か不幸か煙草が吸えないでしょ(笑)。」





あがたさんのデビュー盤に『蓄音盤』て、ありますけど。ボブ・ディランの前にはどんな音楽聴いていたのかな、とか思うんですけど。

「うーん。…父親が買ったタンゴのレコードはいっぱいあったなあ。そういえば、タンゴをよくかけておふくろと一緒にダンスを踊っていたりしていたのをすごくよく憶えている。」

うわ。そうなんですかー!

「いや全然、上手じゃないよ(笑)」

そうですか、子供心にタンゴを聴いていたんですね。

「うん。タンゴはね、恐ろしいほどに、前提としておれの血の中にある音楽みたいな。ぼくの中では何故か。親が聴いていたというのもあるだろうけど、バンドネオンの持っている魔力もね。」


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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