Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2010年01月21日(木) |
『ライフ』と『ロング・バケーション』 |
土曜の夜中に三鷹の長男にインスタントコーヒーとコーンスープを届ける使命を受ける。 先週の池上温泉23分のリベンジで長女とごはんとお買い物。 ファミレスなんてやめて、駅前とかの小さな中華料理屋で。レバにら炒めがいいけど。 見つけたお店にはレバにら炒めはなかった。あいつはさんま定食、おれは肉野菜炒め定食。 お店のテレビでNHKクローズアップ現代「“助けて”と言えない〜共鳴する30代〜」を観る。
ひとりでサラダを選んだりシャンプーとリンスを選んだり牛乳を選んでいるむすめのすがたになみだする。
小沢健二が書いている童話「うさぎ!」の灰色というのは、 ネグリハートの『マルチチュード』の序文で記述されている「灰色の大衆」である。 それぞれの色彩を保持する存在は「人民」として、灰色の「大衆」とは区別されている。
ぜにかねのモンダイではない、と、おれはよく口にして任侠を気取って何かをしてる仕草をする。 しかし、貨幣は血液のようにも思える。持ちゼニによって生きる心持ちがびみょーに日々変わる。耳まで変わる。 灰色の大衆には、年収1000万ドルのひと、3万ドルのひと、などなど、が、いて、
たぶんほんのちょっとの恐怖が、システムを駆動している。 灰色の大衆は1%収入が下がることをおそれて5%増える排他的な(利己的な)行動を取ってしまう。 おおきなからだ(血液・収入)のひとがすこし動くと、ちいさなからだのひとはたくさん死んでしまう。
■ ■ ■ ただここでの『ライフ』と『ロング・バケーション』を比較する記述はちがうと思う。 前者は進む先が無いような時代の予感、メランコリーを予期する翳りを含んだ明るさがあるのであり、 後者は、うーん、これからバブル時代だーというような。 制作された時代の気圧であって、創造の質ではない。
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