Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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| 2009年04月09日(木) |
『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』 |

図書館にあったイエスの『トーマト』を聴いたが。音がよくねー!つか、作品もよくねー。 ああ、高校2年生んときの秋は『トーマト』ばかり聴いてなんて恥ずかしくて言えねえー。
斎藤環さんが書いた 『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』(NHKブックス1111)。
身体でつながる母と娘、が、起因となる精神的な諸現象。
娘は母の人生を生きていたり、母は娘の人生をわがものに見なしていたり、 は、息子と母、にも、あてはまるものであるけれども、やはりちと異なるらしい。
ユリイカ2008年12月号がこれにあわせて「特集:母と娘の物語−母/娘という呪い」を組んでいる。 やあね。母と娘。
おや。 佐々木敦が「健忘症者のインプロヴィゼーション」という連載を書いている。 「デレク(たち)」は健忘症でなければならなかったのか・・・。そんでゾーンのまたまた登場。 こういう思考っていまだ需要があるのだろう。 現代音楽ラインの切り口でいくら即興シーンを斬ってみても、その歓びには触れてないと思う。 福島恵一のジャズ批評の文体、のほうが、即興を語るひとつのありようとして、示唆に満ちていたと思う。
かといって、おいらが何かを書けるのかというのとはまた別のモンダイ。
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