Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2009年03月10日(火) |
「東京大学のジョー・マネリ、またはミシェル・ドネダ、すくなくともポール・モチアン」 |

まだまだジャズに対する見識もJポップに対する感受性も編集CDRを構成するちからも、 おれの弟子を名乗る水準にも至っていない長男が東大文三に合格したと電話をかけてきた。 ばかもの!あれだけ上智のおんなはおれたちのものだな、と堅く誓ったはずではなかったか。
おまえはな、ECMファンクラブ会長の二代目を継ぐ立場・・・、せ、世襲なんだよっ!わきまえよ。
東大にだな、総合聴取研究所musicircusというのを作る。 その中はジャズ研、クラシック研、日本伝統音楽鑑賞部、中南米音楽、小沢健二科、ECMジャパン本部、などによって構成される。 編集CDR作成や、レコードコンサート、ニセコロッシコンサートツアー論評、ピーピコ賞の授与、Jazz Tokyoの編纂作業などの活動をする。
そんで「東京大学のジョー・マネリ、またはミシェル・ドネダ、すくなくともポール・モチアン」という講義をおれがする。
そんでマーケットの圧力に左右されない音楽批評論壇を形成する。
そんでおれが勲二等やMBE勲章、ノーベル文化賞をもらう。
そんでロックフェラー財団から好きなCDやコンサートを開く資金の提供を受ける。
そんでマンフレット・アイヒャーをあごでつかう。
そんでタウナーのソルスティスやジャレットのヨーロピアン・カルテットを再結成させる。
ああ、たまんねえな。
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