Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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12月に入り。
奈良の天河神社という音楽と芸術の神様がいるところへ導かれる。 ■
養老天命反転地に行ったことを喜久屋食堂で子どもたちが話題に。 友だちに話すと、「どこそこ?」とかえされるという。 ここ読んで>■ 荒川修作についての理解を深めること>子どもたちへ。 という、おれ。 ここ読んで>■ 子どもたち。試験には出ないけど。
音楽やアートに接して、変容する自分というより、アートによって構築される身体、感覚、自我、としての自分に気づくということ。 子どもとの思い出とか恋人とかゼニへの執着とか言葉遣いとか、その音楽をこう感じるとかそう判断するとか、わりと固定的な価値体系で出来上がってしまっている自分、を、捨てられるかっていう気持ちもわからぬわけではないけれども、 アートが放つもの、が、おれという存在を再構築する、と同時に、おれはいわば消える。
そういったところから立ち上がってきたコトバ、が、傾聴に値するような気がすんだよね。
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