Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年08月30日(木) 銀杏BOYSの「あいどんわなだい」。



ケニー・ホイーラーの『All The More』1(Soul Note)1997は、『Music For Large & Small Ensembles』(ECM)1990、『Kayak』(ah um)1992の延長線上に位置する彼の音楽性発露の主線上にある作品。リリースするレーベルがあちこちでかわいそうな気もするけど、出世作となったジャレットらとの『Gnu High』がどこかホイーラーとしてはジャレット、ホランド、デジョネット組に持ってかれた感があって、本来の音色主義者然とした特異性は、デビュー作である『Windmill Tilterウインドミル・ティルター』から綿々と不変だったことがわかる。



カエターノ・ヴェローゾがスーパースターになってからのアコースティック・ライブ『ポートレイトCircurad Vivo』。『シルクラドーCircurad』が出るまでカエターノを聴いたことがなかったわたしです。カエターノを聴くとチーズケーキを食べたくなる。マイケル・ジャクソンの「Black or White」をイントロに、反アメリカをつなぐヴェローゾは、性的アイコンとしての優越を誇示するように声で戦うのだ。



こないだ前橋の群馬県立図書館で見てあわててアマゾンで購入した『トロピカーリア:ブラジル音楽を変革した文化ムーブメント』、細川周平の「トロピカーリアはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの実験性とビーチ・ボーイズのスター性とフランク・ザッパの諧謔性とボブ・ディランの饒舌とラットルズの笑いを兼ね備えたような存在だった。」という解説文。



銀杏BOYSの「あいどんわなだい」。
がなりたてる求愛ソングの系譜はあるだろ。2007年だから、マンキツで叫ぶのが純情なのだ。「東北新幹線はチヒロちゃんを乗せて」、こんなふうにして、たぶん駅前の雨の中の野良犬みたいに誰かをいとおしくて想って、いまの自分だけを賭けて呼吸をできる、そういったティーンエイジャーだけの特権が、空気が封印されている。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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