Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年06月28日(木) |
シンガーソングライター浜田真理子 |
こんなふうにして終わるもの、と、小谷美紗子は歌ったとして。 ファンカデリックやスコーチトリオ2ndに少しも面白味を感じることができない日々にあって、ふと、エグベルト・ジスモンチのECMベスト『:rarum XI』に耳をすっかり持ってゆかれ、あらためてECMの素晴らしさ、を、新鮮に感じる時間が訪れて、 ECMにかけては世界一魅惑的なサイトとなったmusicircusのトップページのコンテンツのヴィジュアルに、 どこか初めて吉増剛造の秘蹟的朗読名盤『石狩シーツ』を耳にしたときのような、遠くからの呼び声、と、措定する形容を、視たような気がしている。
コルトレーンの後期ですら、いわんやファラオ・サンダース、エリック・ドルフィーまでもがご法度になってしまう保守的なジャズリスナーの集団があったという。清水俊彦チルドレン的であったわたしは、わたしの世代の優位を誇らしげに、歴史に取り残されるじじいどもめ、と、思ったけど。
おれ、その心境、わかるような気がしている、いま。 おいおいおい、いいとしこいて、アヴァンギャルドで商売してんじゃねえよ。下校時の通学路で待ち伏せして、いかがわしいオモチャを小学生に売りつけている香具師みてえなもんじゃねえのか、エヴァン・パーカー、などと言えてしまえそうである。
そういえば。さっき、川嶋哲郎の『天元〜改天換地〜Standard Jazz by Solo〜』の、「<スタンダード・ソングについて> クレスタ オール・ザ・シングス・ユー・アー ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ チェロキー マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ Fのブルース」という50分以上にわたるサックスのソロ・ライブを聴いていて、その至福なライブ感にうっとりしかけて、川嶋哲郎が循環奏法をしはじめた途端に興醒めしたのは、演奏された旋律とは別の次元で循環奏法中の息つぎが聴こえていたからなのだ。
循環奏法はエヴァン・パーカーがこの世界に持ち込んだ技だけど、わたしは循環奏法はキライだ。聴いているこっちが苦しくなるからキライだ。 聴いていて苦しくならない聴き方、というのは、間違っていると思う。
そんなことを思っていた矢先に、 NHKラジオ深夜便を国道17号をくだりながら、シンガーソングライター浜田真理子に出会ってしまう。
すごい。歌もすごいけど、ピアノの鳴りがとてつもなくすごい。おれが思うに、渋谷毅が嫉妬する唯一のピアニズムだ。マリア・ジョアン・ピリスや舘野泉のレベルだろう、このピアノは。ピアノだけでもこうなのだ。歌のすばらしさについて、おれはうまく形容詞が見つからない。
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