Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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そうですねー。ミスチルのベストとして挙げられるアルバムは、『Q』である、異議なし。 それにしても。 「CENTER OF UNIVERSE」「ファスナー」「デルモ」「天使が降り立つまえに(七尾旅人)」「隔たり」「潜水」、を、リピートですって? 「天使が降り立つまえに(七尾旅人)」、これは聴いたことがございません。ぜひとも、なににて。
ドネダのクレフの解剖学がちっともよくない、というのは、ある意味わかる気がします。 ぼくは「Montagne noire」と「春の旅Spring Road 01」が至福的に好きです。 ドネダ以降に即興演奏家は存在し得るのか、なんて思ってますが、あ、そいえばアネッタ・クレブス、アンドレア・ノイマンがすげー!すげすぎるー!と叫んで以来、即興から遠ざかってしまっています。
おれの知り合いでミクシィ?、そいえば2ねんほどまえにおおしまくんからさそわれた記憶が。おれは入ってないよ。
今回の彼らは幻惑的だ。クライマックスを持たずに、ジャズの即興演奏の醍醐味をロードムービーのように展開してゆく。力量がなければ、なかなかできない代物だ。 フリーゼルについては2005年グラミーに輝いた傑作『アンスピーカブル』、さらにその後のケニー・ウォールソン(ドラム)を主軸にしたユニットでのライブ盤を聴いていることは前提。・・・お、ロン・カーター、ポール・モーシャンとのトリオをノンサッチ・レーベルで始動させているぞ。 さて。ポール・モーシャンが84年に結成したフリーゼル、ロヴァーノのとのトリオは実に先見的であったと、今ならば思うし、(当時はベテランが新人をピックアップした一時的なユニットだと思っていた、この2人はバークリーのクラスメイトなのだ)、この22年にも及ぶキャリアは、マンネリとは無縁に互いの信頼が生む“演奏射程スペース”といったものの拡張を続けていることの驚異だ。 ロヴァーノの、あえて書くに、90年代に顕現することになったところの革命性、には、ポール・デズモンドを聴く補助線が必要だとかねがね思っていたけれども、ざっくりと言うと、ブリブリとブロー大会のお祭りエンターテイナーや技巧に長けた身体能力に頼ったサックス奏者はお呼びじゃないよ、ということだ。ジョシュアとは言わないし、デヴィッドSウエアとも言わない。ロヴァーノをしっかり意識して90年代に登場したのがマーク・ターナーだ、とは言える。トーンと音色の揺れに対するデリカシー。 たとえば、3曲目の彼らの空間の保持の仕方を聴いてみてほしい。8曲目でもいいや。まさに名人たちにだけ許されるタイム感覚の渡り歩きざま、としか言いようがない。確信犯と確信犯を二重に裏返して、天然、諧謔、児戯、老人力、伸び縮みするタイムのスケール読み。 こんなジャズを聴いてしまうと、もはやミシェル・ドネダ、ジョー・マネリ、菅野邦彦ぐらいしかジャズ界に対戦相手はいないのであることよ。「あんたたち、いったいいつの時代のジャズを演奏しているの?」と、みんなに言いたい。 このところのアイヒャーECMのモーシャン登用度をみると、ようやくマンフレートもわかってきたのかな、と、希望を持つ。ところで、クリステンセンは最近どうしたのか。サルーシとのデュオ名盤『センデロス』の続きが聴きたいぞ。
今夜も仕事だ。わしゃ寝る。
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