Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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昨日は暴風小雨のなか仕事で赤羽警察署まで、最近開通した環八(練馬〜西台)をすいすい。
仲正昌樹著『集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス)2006、の“「生の音」にいかに接近するか”の章以降を読了。中沢新一の『チベットのモーツァルト』、東浩紀の「郵便的不安」「動物化」、の、おおざっぱなまとめに、すっきり。中沢新一の密教と空海に対する認識には、そうそう、そうなんだよー、と、我が意を得たりのオヤジ的反応をしていい気なものです。金沢大学の教授をしているこの仲正昌樹さん、このアタマの良さはオザケンを連想するところがあります(すごい結びつけ)。
白川淑(しらかわよし)の詩集『お火焚き』(土曜美術社出版販売)1994、著者の謹呈しおり付き、を、入手読了。 「帰依しとおくれやすぅ うちの お宮さんで と」 生死、男女、菩薩、さくら、など、日本語、日本文化、仏教、と言ってしまうと行き止まりになるけど、西洋の認識ツールでは解剖されえないもの。
『千と千尋の神隠し』など宮崎アニメで特徴的なのは、敵が味方になること。ご近所付き合いでのいざこざ、おさまりかたの反映と似てて。 チェスが取ったコマを捕虜のままにしておくのに比べて、将棋は取ったコマは味方になる。
このところECMプロジェクトでECM作品ばかり聴いているのだけど、徹底的にミュージシャンを廃盤にするような精神のかたちをしたECMのサウンドが宮崎アニメとは根本的に合わないものであることを考える。日蓮上人の影響に創作された某廃盤ECMをどう書くか。
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