Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年03月03日(土) わたしがイーストワークスのCDを聴けない理由

ライ・クーダーとビル・フリゼールのアメリカ音楽への眼差しの共有、とか、
ライ・クーダーの『ジャズ』が、ぼくがはたちのときに、中野のビアズレーという音楽バーでよくかかっていて、ぼくはジャズをそのようなものだ、とも、曲解したものだから、その体験は、ロヴァ耳の確立にいささかなりとも影響を与えたのだ、という感謝のような、とか、
をも、書きたかった、な。Jazz Tokyoへの新作レビュー。

そいえば、メセニーメルドカルテットのレビューはレコード会社担当者から苦言されたようだ。
稲岡親分にもうしわけがたたねえ。
たたねえ、が、あっしには耳とくちがあるんでさ。

表参道の月光茶房で、リリース前のECM盤などを聴く。

ECM1264『This Earth!』について、ぼくが23さいのときに書いた作文の存在がバラされて、中学1年生のときに初恋の彼女としていた交換日記を見せられたような汗をかく。はずかしいが、かわいい。それに、そういう音楽なんだよ。

たださんのロヴァ耳日記はジャズトィデイ編集長のブログに似ている、といわれた。そしたらロヴァ耳日記が書けなくなった。

7年まえだっけ。わたしは編集にかかわっていた雑誌の次の号を出すのに、準備をすすめていた。
上司である編集長は、わたしに「デザイナーをせっついて、早く次の号のレイアウトを出させるのがオマエの仕事だ」と下命し続けた。
「オマエは次の号を出す気があるのか」まで言われた。
デザイナーに仕事をすすめてくれるよう懇願しつづけたが、いっこうにあがってこない。これが初めての編集仕事なのだから、おかしいとは思うこともなく。ある日、デザイナーが「あなたに言っても仕方がないけど前の号の支払いをいただいていないんですよ」と、言った。
雑誌が進まないのは当然だ。
寄稿してもらっていた友人からはいくら事情を説明しても「仕事が進んでいないのは共同責任だ」と責められた。電話をガチャ切りされた。
それでも、この号を世に出すまでは、とにかく辞められないと思った。
ある日、編集長はイーストワークスというレコード会社のパンフレットの制作を受注してきた。
納期までの日程をみながらわたしはわたしの担当分の仕事をすすめた。ページわりとかデザインとかの進行を、編集長は納期に間に合うようには動かなかった。このままでは納期に間にあわないですよ、と、わたしは何日も前から言い続けていた。
それでも編集長は「ああ」「わかってる」と表情は平気そうなので、あとは編集長の先方への交渉になるものなのだろうと、思った。
その仕事の納期がやってきた。わたしは仕事で下北沢の駅に来ていた。
編集長からケータイが鳴り
「おい、ただ、イーストワークスのほにゃららさんが、パンフが納品されていないと怒っている。おまえ、いますぐ電話しろ。」という。
煮え湯を飲まされる、という表現があることを知ることになる。
納期の遅れはわたしのせいになり、編集長はイーストワークスとの関係を維持することができる、のは、そんなのは常識的なことのようだった。
この瞬間に逃げ出したかったけど、集めた原稿たちのことをおもった。
雑誌の次の号を、わたしは人格をフリーズさせて息を止めてもぐりつづけるように雑誌が出版されるのを見届けて、わたしは編集長のもとを去った。
イーストワークスのパンフレットの納期が遅れて派生した費用をわたしの報酬から引くと告げられても何も言えないでいるこのかんじ。
なにか処刑されるような心境だったけど、それもまた自己責任、なのらしい。
その年の年末は次の仕事も見つからず、子どもたちにクリスマスプレゼントもお年玉を翌年に借りにすると、ふがいなく言う気持ち。
わたしはとにかく誓った。ひとを見る目を持たなければ。
編集長はその後関係を維持したイーストワークスが出資するフリーペーパーの編集長になってブログを書いているという。

そのブログに似ていると言われて、背中からヤリをさされたような気持ちになってしまうというのは、いわゆるトラウマ、精神的外傷というものだろう。
こうして思い出し書きをしてみて、わたしはすこしは気が楽になったのだろうか。

(追加)
上記パンフ制作にあたり大々的にフューチャーされた写真(これはほんとうに音と気持ちが聴こえるすばらしいものだった)を撮影した座間さんがブログでリンクをはってくれた(3月4日付記載において)。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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