Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年10月03日(火) |
キース・ジャレットの『カーネギー・ホール・コンサート』 |
こっこの「焼け野が原」を初めて聴いた友だちが笑い出した。 「わはは、クレヨンしんちゃんみたいだ!」
・・・もう2度と「焼け野が原」を聴いてクレヨンしんちゃんを意識しないで聴くことはないのだろう。 ・・・こういう聴取体験に加えられた外傷について、わたしは後遺症障害慰謝料を請求したい気持ちになったものなのであるが。 ・・・わたしもむかし山下達郎の「メリーゴーランド」を聴いて「うしろでロシアのコサックが腕組んで“ウッ”と踊っている」と言ったがために、「ただくんなんて、きらい!」となみだ目で訴えられたことがあった。
編集CDR『Feel Myself - 2004 Feb.』 01. Feel Myself / 坂本真綾 (6:58) どうしてこの曲で世界はひっくりかえらんのじゃー。 02. The First Circle / Pat Metheny Group (9:18) 続くナンバーはこの天上サウンド世界しか、ありえねー! 03. 焼け野が原 / Cocco (4:18) 「雲はまるで燃えるようなむらさき、嵐が来るよ」、これはもはや『嵐が丘』の世界。 04. 主よ、人の望みの喜びよ / 高橋悠治 (3:03) バッハにしかリレーできない流れ。 05. うちゅうひこうしのうた/ 坂本真綾 (3:50) NHK『みんなのうた』で放映。宇宙飛行士と農夫のカップル、すてきだ。 06. ヒーロー / 坂本真綾 (2:49) デヴィッド・シルヴィアンの『Blemish』ばりの接触電子音的なアレンジがたまらん。ちとケイト・ブッシュ的。 07. evergreen / my little lover (5:46) まるでメセニーグループの音場感。マイラバはこのアルバムだけが傑出している。 08. I’ll Be (live version) / Mr.Children (10:01) ミスチル絶版ライブ2CD『1/42』より。このあと「花」に続くというハイライト部分だ。 09. Are You Going With Me ? / Anna Maria Jopek & Friends with Pat Metheny (8:41) 2月度MVP曲に認定せり。 10. Hero (inst) (4:04) オルゴールで演奏されたミスチルの「Hero」。 トータル58分51秒
キース・ジャレットの『カーネギー・ホール・コンサート』を聴き始める。 前作の『レイディアンス』のついては、サイトJazz Tokyoでわたしは絶賛した。レビューに一点の間違いはない。
そして『カーネギー・ホール・コンサート』についての結論だけ言おう。 これはジャレットの旅路のおしまいである。 アイヒャーがNYタイムスに「この録音は(キースの)過去と未来を完全に写し出す鏡のようだ。ふたりで旅を始めた頃よく耳にした懐かしい音楽がたくさん聞えてくる。ただし、音の佇まいやフォルムはまったく別物だが。彼のピアノは時の流れとともに長足の進歩を遂げている」と、言ってもいいが、エグゼクティヴ・プロデューサーの立場に留まったところにアイヒャーの誠実さ、「こんなもん、おれのクレジットでは出さんがね」が真意、を示している。
マガジンで松尾さんは7点なんて中途半端な点数つけているけど、信用なくすよ。
この作品を聴いてジャレットを認識する若きリスナーの不幸を思う。ジャレットの70年代の録音には、70年代のオーラ(としか言いようのないもの)が横溢している。これは、70年代を、追体験であれ、様々な音楽や文化現象の空気やモードを感得すればするほど、わかってゆくことだと思うので、リアルタイム体験者の優越に絶望するものでもない。 ここで聴かれる、70年代のオーラを纏わない、かつて70年代に視ていたヴィジョンを、解像度の高いピアノ技術でなぞられても、それはCG合成実写版サザエさんのようなもので(このたとえはへんかもしれないけどね)、音楽として、成り立っていない、のだ。
「パート7」には、赤いちゃんちゃんこを着たアメリカ人のジャレットが映る。ぼくは応える、「キース、もう、おじいちゃんになっていいんだよ、いままでほんとうにありがとう」。ぼくも万感の拍手を送るよ。そういうふうにわかりあった拍手だった。だから「パート8」には、赦しのような優しさが降りてきているのだし、そこには年老いた「ステアケース」もステージに並んでいたようですが。9と10はゴミです。1から6もゴミです。 「フォー・アメリカ」、失禁した老紳士がおむつからすえた臭いをさせてベランダで陽にあたりながら立っています。なんかポーズつけてます。エンディングは、それって醜いって、あれだけ自覚していたはずじゃなかったのかな、と、がっかりさせます。 「ペイント・マイ・ハート・レッド」「マイ・ソング」「トゥルー・ブルース」「タイム・オン・マイ・ハンズ」、聴く時間がもったいなかったかな。 これらは、聴衆からもらった音楽でもあります。ジャレットは哀しいピエロのようです。このきたならしい観客の反応は不快です。
ぼくの驚きは、『レイディアンス』と『カーネギー・ホール・コンサート』の落差です。 Jazz Tokyoを主宰している稲岡さんが『レイディアンス』のレビューはぼくに書くか打診があったのに、『カーネギー・ホール・コンサート』にはなかったのには。ぼくは、稲岡さんの信頼に応えられる耳でいつづけようと思いました。
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