Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年04月30日(日) |
Salyuの新曲「Tower」 "だって、好きなことしていいのよ、everynight" |
ここのところSalyu and Mr.Childrenの「to U」がくりかえし耳になっている。心地よく。 ライブで披露されるSalyuバージョンの「to U」もいいらしい。たしかにいいにちがいない。CD化してほしい。
Salyuの新曲「Tower」も、サビのこぶしがいい。作詞:一青窈、作曲:小林武史。演奏は「未来」みたい。ミスチル? 「だって、好きなことしていいのよ、everynight」 このサビの落差の作り、ふと、工藤静香にたくさんの曲を書いた後藤次利■の曲作りを連想する。
音楽の聴取について、ぼくが思うところは。
ぼくのばあい、生活をしていて意識の中に音楽が鳴っていないことはほとんどない。鼻歌をうたうように。CDウォークマン。あるひとつのヒットソング。そのヒットソングと重なるように、いろんなジャンルの音楽がジュークボックス同時再生のように、鳴りはじめることもある。身のまわりの音でもミュージックコンクレートとして聴こえているし、そこから参照されていろんな音楽がざわめき立ちはじめている。
「ダニエルパウターはさ」「あ、エルトンジョン、ちょっと入ってる?」と話すときの、アーティスト名から反響してくる、その会話に必要な微量の音楽性成分。夥しい作品の総体。
だから、アーティスト名が次々に出てくる会話にどっぷりつかっているぼくの会話に、外野からそれは符牒だとやっかまれても、それこそそれは「わかるひとにはわかる」会話に過ぎなくて、ごめんなさいとしか言いようがない。
会話のとっかかりから異様に輝き始める音楽もあれば(実際これははなはだ多い)、たまに輝きを失う音楽も出てくる。仕方ないよね。Hydeにデビッド・シルヴィアンをつなげてhydeが聴こえなくなってしまう、とかは、やはり不幸だけど。
マイルスを聴くといろんなものが聴こえなくなる現実もある。そして浮かび上がる自明な造詣のちから。
で、マイルスをインストールしていない耳で聴いたり、ジャズを知る前の耳(あくまで便宜的な言い方です)で聴いたり、いろいろ科学者のようにいろんな方角から音楽をなめまわすことも愉しみのひとつとなるわけではあり。
ほんとうはたくさんの言葉がひつようなのだ。で、言葉はなかなか音楽に届かない(不可能だと言ってもいい)のだ。
中井久夫(72さい)著『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)、 “「ファーストキスから戦争」までの「踏み越え」の一般理論を考えたらどうだろうと思うに至った。” “匂いも、観念も、ごくわずかな原因物質によって触発される。観念も極めて些細な、そしてしばしば意外な因子によって触発される。決して方法論に還元しえないと私は考える。採集の旅に専門家に同行してみよ。茸さがしの名人の跡を追ってみよ。”
踏み越え、て、感動する、音楽の万華鏡的な性格。
三善晃の音楽について。 「生と死と創造と――作曲家・三善晃論/丘山万里子」>■
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